香港の反乱2019 抵抗運動と中国のゆくえ 訳注  6

投稿日時 2021-09-01 19:58:36 | カテゴリ: TOP

香港の反乱2019 抵抗運動と中国のゆくえ 訳注  6

 


第四章
<1> 梁天琦 91年生まれ。本土民主前線の創設メンバー。父親は香港人だが母親は大陸出身で、武漢で梁を生み1歳のときに母親と香港に移住した。2016年1月公示の香港立法会の補選に立候補。同年2月8日の旧暦大晦日の旺角暴動(かれらの良い方では魚蛋革命)に参加。2月28日に投開票された同補選では泛民の公民党の楊岳橋が37.19%の得票率で当選するが、梁は予想を大きく上回る15.38%を獲得。同年9月4日の立法会選挙にも立候補。独立派の台頭を恐れた選挙管理委員会から候補者への「確認書」のなかで、従来の香港独立の主張を放棄したが、偽装放棄とされて立候補資格を認められなかった。18年6月、旺角暴動での警察襲撃および暴動参加の罪で懲役6年の実刑判決を受け、現在服役中。第二章訳注<20>も参照。梁を主人公にしたドキュメント映画《地厚天高》(林子穎監督、邦題:天の高さを知りながら)がある。
<2> 「我要攬炒」は「攬炒巴」(攬炒ブラザー)とも呼ばれていたが、2020年10月5日にYOUTUBEの「攬炒團隊・攬炒巴真身反擊宣言!Hong Kong Resistance Declaration」(https://onl.tw/3htJS3g)で顔と名前(劉祖廸Finn Lau)を明らかにしている。19年12月に區龍宇とともに来日した陳怡は、21年3月発行の研究誌で次のように論じている。「2020年10月5日,自分が攬炒ブラザー だと名乗る青年がインターネット動画で自らの身分を明らかにし、攬炒団の主張を説明した。本当に彼が攬炒ブラザーなのかどうかは分からないが、この攬炒ブラザーは動画のなかで自分が『最初に攬炒戦術を提起した』ことを認めており、攬炒団は『中国政府の管理下の香港自治』ではなく『国際状況のなかでの香港自治』の実現に向けて奮闘することを強調している。さらに攬炒ブラザーは1997年の中国返還後の香港は『違法に占領されてきた』と主張した。さらに人々の注意を惹いたのは、動画の背景には英国植民地時代の香港旗が大写しになっていたことである。11月6日にはFacebookで『中国政府の資本調達に協力する者は、我々の敵であり、それは香港民族の敵ということでもある』と書き込み、『Hong Kong is not China』と書かれた画像も張り付けていた。」(『現代中国研究』第46号、2021年3月12日発行)
<3> 黃台仰は、本土民主前線の創設メンバーで、2018年5月にドイツに亡命した。周永康は、香港大学学生会(『學苑』副編集長)として2014年に学聯の事務局に選出され、雨傘運動で活躍。17年8月に黄之鋒、羅冠中とともに禁固7カ月の実刑を受けるが18年2月に最高裁(終審法院)が禁固刑を撤回する判決を出した。現在はカリフォルニア大学バークレー校の博士課程で学ぶ。岑敖暉も、周と同じ時期に学聯の事務局次長(中文大学)として活躍した2019年9月の区議会選挙には荃灣区議会に立法会議員の朱凱迪選挙団から立候補して当選。20年7月の立法会予備選挙に参加したことで国家安全維持法の罪に問われ21年2月末に逮捕・起訴され現在拘留中。陳雲については第一章の本文および第一章訳注<18>、第四章訳注<11>を参照。
<4> 「香港に栄光あれ」の歌詞は、以下のようなものである。
何以這土地淚再流/なぜこの大地にまた涙し
何以令眾人亦憤恨/なぜ人々は怒りに震えるのか
昂首拒默沈/首(こうべ)をあげて沈黙を拒否せよ
吶喊聲響透/吶喊の声が響き渡る
盼自由歸於這裡/自由への願いはここに成就する
何以這恐懼抹不走/なぜこの恐怖を拭い去れないのに
何以為信念從沒退後/なぜ信念のために一歩も譲ることができないのか
何解血在流/なぜ血を流しながらも
但邁進聲響透/邁進の号令が響くのだろう
建自由光輝香港/自由で光り輝く香港を築こう
在晚星墜落徬徨午夜/星降る夜、真夜中に彷徨う
迷霧裡最遠處吹來號角聲/彷徨う霧のかなたから角笛が鳴り響く
捍自由來齊集這裡來全力抗對/自由を守るためにここに集い全力で抵抗せよ
勇氣智慧也永不滅/勇気と知恵は永久に不滅
黎明來到要光復這香港/夜明けがやってきた、香港を取り戻す時だ
同行兒女為正義時代革命/仲間たちよ、正義の時代革命
祈求民主與自由萬世都不朽/民主と自由への希求は万世不朽
我願榮光歸香港/香港に栄光あらんことを
<5> デモ隊を支持する「黄店」には、連登猪が描かれた黄色のステッカーが貼られていた。
<6> オルタナ右翼とカエルのペペについては、序章訳注<7>、<8>を参照すること。
<7> 現在の中華民国台湾の国旗(青天白日満地紅旗)は、もともとは中国国民党の党旗として1919年に孫文によって制定されたもの。その後、1928年に中華民国の国旗となった。青天白日の紋章は国民党の党章でもあり、本文でも述べられているように、台湾独立を志向する人々は台湾中華民国の国旗を使用することを忌避する傾向がある。
<8> 香港市民愛国民主運動支援連合会 1989年の中国民主化運動を支援する泛民のプラットフォームとして同年5月に結成された。初代主席の司徒華ら愛国民主派が強いイニシアチブを持ってきた(第一章訳注<17>参照)。同年6月の天安門事件以降は民主活動家の亡命支援、89年民主化運動の名誉回復、毎年の六四事件追悼集会の開催、六四記念館の運営などをおこなってきた。2020年11月現在、207の組織が参加している。現在の代表は工盟の元書記長で工党副主席の李卓人。国安法の施行を受け、21年7月には、これまで20名いた常務委員は、主席の李卓人、副主席の何俊仁と鄒幸彤ら7人に減少し、専従職員は7月中に契約を解除することなどを決定し、規模を縮小しながら活動を継続していくとしている。李と何は20年8月のデモ煽動で禁固刑を受けて収監中、鄒幸彤は21年の六四天安門事件追悼や7・1返還記念日の街頭抗議などを煽動した容疑で収監中。
<9> この日は数日間のゼネストが呼びかけられた初日で、通勤交通の妨害行動の呼びかけがされていた。被害者の男性は当初MTRの駅で破壊行動をしていた抗議者らを止めようとした。その後、この男性が近くの歩道橋で別な抗議者らと論争していた時に身元不詳の犯人に可燃性液体をかけられ放火された。皮膚の40%以上にやけどを負い、病院の集中治療室で治療を受け、一時は危篤状態に陥っていた
<10> 香港における南アジア人 2016年の人口センサスによると、約58万人いる非中国系住民のうち、家事労働者に多いフィリピン人(31.5%)、インドネシア人(26.2%)に次いで多いのは南アジア系(14.4%)である。内訳はインド系(6.2%)・ネパール系(4.4%)・パキスタン系(3.1%)・バングラディシュ・スリランカなど。南アジア系住民は旧英植民地政策によって香港移住が進められ、数世代に渡って香港で生活してきた。1997年の香港返還に際しては英国籍を取得する南アジア系住民らもいたが、中国・香港籍になった住民も多くいた。香港政府は多文化共生や差別解消などを進めるが、いまだ差別などは残っているという。今回の運動でも南アジア系住民らの参加も見られた。第二章の「民族マイノリティ」の項および第二章訳注<33>参照。2017年に日本でも公開された香港のオムニバス映画『十年』には、アンダー・グラウンドから這い上がろうとする南アジア系青年を描いた「エキストラ」という作品もある。
<11> 毅進(Diploma Yi Jin)は、香港の高校卒業者および21歳以上の成人学習者に提供される教育課程で、「準学士」を取得できる日本の短期大学に相当するコース。19年に訪れた際には、よく集会場となる添馬(タマル)公園に、毅進コースを経て機動隊になった警官の学力の低さを揶揄するデモ隊側のポスターが張られていた。
<12> 2016年の立法会選挙で陳雲(本名・陳雲根)は、香港復興會という政治文化団体の代表として、右翼本土派の政治組織「熱血公民」と右翼ポピュリスト政治家の黄毓民(第一章の訳注<5>参照)が率いる「普羅政治學苑」と共同の選挙連合を結成し、五人の選挙リストの候補者の一人になった。結果は、熱血公民の若手候補の鄭松泰以外は、陳雲を含め落選。なお当選した熱血公民の鄭松泰は、2020年11月に中国全人代常務委員会が民主派議員4人の議員資格をはく奪した際、民主派議員が抗議の総辞職をしたときも一人だけ辞職しなかった(第一章の訳注<21>の【2020年11月の議員資格はく奪】の項を参照)
 






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