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香港の反乱2019 抵抗運動と中国のゆくえ 訳注  7

 

第五章
<1> 「街中で平気で小便をする人間が、そんなことをしない人間を統治する」とは、中国からやってきた新移民が、中国本土とおなじ感覚で、街中で小便をするが、そういう新移民がじつは豪華なマンションに住んでいる、ということを揶揄した言い回しで、それが中国人ヘイトの言説と結びついている。
<2> 香港ストックコネクトは、中国本土の証券取引所と香港証券取引所との間で相互に証券取引・決済を可能にするシステムのこと。2014年に上海・香港間で「滬港通」(上海・香港ストックコネクト)、2016年には深圳・香港間で「深港通」(深圳・香港ストックコネクト)運用が開始され、世界の投資家は香港を経由し、上海や深圳の取引所に上場する人民元建て株式を自由に売買できるようになった。
<3> オフショア・センターとは、非住居者の資金調達や運用を、金融,税制,為替管理などで優遇し、規制の少ない自由な取引として認める市場のこと。
<4> 『中国中央電視台春節聯歓晩会』は、毎年、春節(旧正月)の大晦日から元日にかけて放送されるテレビ番組のこと。中国や海外の有名な歌手によるライブ、京劇やコントなど多彩な内容で、七億人以上が視聴していると言われる。
<5> 2018年に開催された第13期全国人民代表大会第1回会議は、国家主席の任期を「2期10年」までとする規制を撤廃する憲法改正案を採択した。投票結果は、賛成2958票、反対2票、棄権3票だった。従来の憲法では「2期を超えて連続して就くことができない」と規定されていた。
<6> バナナ共和国とは、バナナなどの第一次産品の輸出に依存し、外国資本によってコントロールされている政治的に不安定な中南米などの小国を指すことば。


香港の反乱2019 抵抗運動と中国のゆくえ 訳注  6

 


第四章
<1> 梁天琦 91年生まれ。本土民主前線の創設メンバー。父親は香港人だが母親は大陸出身で、武漢で梁を生み1歳のときに母親と香港に移住した。2016年1月公示の香港立法会の補選に立候補。同年2月8日の旧暦大晦日の旺角暴動(かれらの良い方では魚蛋革命)に参加。2月28日に投開票された同補選では泛民の公民党の楊岳橋が37.19%の得票率で当選するが、梁は予想を大きく上回る15.38%を獲得。同年9月4日の立法会選挙にも立候補。独立派の台頭を恐れた選挙管理委員会から候補者への「確認書」のなかで、従来の香港独立の主張を放棄したが、偽装放棄とされて立候補資格を認められなかった。18年6月、旺角暴動での警察襲撃および暴動参加の罪で懲役6年の実刑判決を受け、現在服役中。第二章訳注<20>も参照。梁を主人公にしたドキュメント映画《地厚天高》(林子穎監督、邦題:天の高さを知りながら)がある。
<2> 「我要攬炒」は「攬炒巴」(攬炒ブラザー)とも呼ばれていたが、2020年10月5日にYOUTUBEの「攬炒團隊・攬炒巴真身反擊宣言!Hong Kong Resistance Declaration」(https://onl.tw/3htJS3g)で顔と名前(劉祖廸Finn Lau)を明らかにしている。19年12月に區龍宇とともに来日した陳怡は、21年3月発行の研究誌で次のように論じている。「2020年10月5日,自分が攬炒ブラザー だと名乗る青年がインターネット動画で自らの身分を明らかにし、攬炒団の主張を説明した。本当に彼が攬炒ブラザーなのかどうかは分からないが、この攬炒ブラザーは動画のなかで自分が『最初に攬炒戦術を提起した』ことを認めており、攬炒団は『中国政府の管理下の香港自治』ではなく『国際状況のなかでの香港自治』の実現に向けて奮闘することを強調している。さらに攬炒ブラザーは1997年の中国返還後の香港は『違法に占領されてきた』と主張した。さらに人々の注意を惹いたのは、動画の背景には英国植民地時代の香港旗が大写しになっていたことである。11月6日にはFacebookで『中国政府の資本調達に協力する者は、我々の敵であり、それは香港民族の敵ということでもある』と書き込み、『Hong Kong is not China』と書かれた画像も張り付けていた。」(『現代中国研究』第46号、2021年3月12日発行)
<3> 黃台仰は、本土民主前線の創設メンバーで、2018年5月にドイツに亡命した。周永康は、香港大学学生会(『學苑』副編集長)として2014年に学聯の事務局に選出され、雨傘運動で活躍。17年8月に黄之鋒、羅冠中とともに禁固7カ月の実刑を受けるが18年2月に最高裁(終審法院)が禁固刑を撤回する判決を出した。現在はカリフォルニア大学バークレー校の博士課程で学ぶ。岑敖暉も、周と同じ時期に学聯の事務局次長(中文大学)として活躍した2019年9月の区議会選挙には荃灣区議会に立法会議員の朱凱迪選挙団から立候補して当選。20年7月の立法会予備選挙に参加したことで国家安全維持法の罪に問われ21年2月末に逮捕・起訴され現在拘留中。陳雲については第一章の本文および第一章訳注<18>、第四章訳注<11>を参照。
<4> 「香港に栄光あれ」の歌詞は、以下のようなものである。
何以這土地淚再流/なぜこの大地にまた涙し
何以令眾人亦憤恨/なぜ人々は怒りに震えるのか
昂首拒默沈/首(こうべ)をあげて沈黙を拒否せよ
吶喊聲響透/吶喊の声が響き渡る
盼自由歸於這裡/自由への願いはここに成就する
何以這恐懼抹不走/なぜこの恐怖を拭い去れないのに
何以為信念從沒退後/なぜ信念のために一歩も譲ることができないのか
何解血在流/なぜ血を流しながらも
但邁進聲響透/邁進の号令が響くのだろう
建自由光輝香港/自由で光り輝く香港を築こう
在晚星墜落徬徨午夜/星降る夜、真夜中に彷徨う
迷霧裡最遠處吹來號角聲/彷徨う霧のかなたから角笛が鳴り響く
捍自由來齊集這裡來全力抗對/自由を守るためにここに集い全力で抵抗せよ
勇氣智慧也永不滅/勇気と知恵は永久に不滅
黎明來到要光復這香港/夜明けがやってきた、香港を取り戻す時だ
同行兒女為正義時代革命/仲間たちよ、正義の時代革命
祈求民主與自由萬世都不朽/民主と自由への希求は万世不朽
我願榮光歸香港/香港に栄光あらんことを
<5> デモ隊を支持する「黄店」には、連登猪が描かれた黄色のステッカーが貼られていた。
<6> オルタナ右翼とカエルのペペについては、序章訳注<7>、<8>を参照すること。
<7> 現在の中華民国台湾の国旗(青天白日満地紅旗)は、もともとは中国国民党の党旗として1919年に孫文によって制定されたもの。その後、1928年に中華民国の国旗となった。青天白日の紋章は国民党の党章でもあり、本文でも述べられているように、台湾独立を志向する人々は台湾中華民国の国旗を使用することを忌避する傾向がある。
<8> 香港市民愛国民主運動支援連合会 1989年の中国民主化運動を支援する泛民のプラットフォームとして同年5月に結成された。初代主席の司徒華ら愛国民主派が強いイニシアチブを持ってきた(第一章訳注<17>参照)。同年6月の天安門事件以降は民主活動家の亡命支援、89年民主化運動の名誉回復、毎年の六四事件追悼集会の開催、六四記念館の運営などをおこなってきた。2020年11月現在、207の組織が参加している。現在の代表は工盟の元書記長で工党副主席の李卓人。国安法の施行を受け、21年7月には、これまで20名いた常務委員は、主席の李卓人、副主席の何俊仁と鄒幸彤ら7人に減少し、専従職員は7月中に契約を解除することなどを決定し、規模を縮小しながら活動を継続していくとしている。李と何は20年8月のデモ煽動で禁固刑を受けて収監中、鄒幸彤は21年の六四天安門事件追悼や7・1返還記念日の街頭抗議などを煽動した容疑で収監中。
<9> この日は数日間のゼネストが呼びかけられた初日で、通勤交通の妨害行動の呼びかけがされていた。被害者の男性は当初MTRの駅で破壊行動をしていた抗議者らを止めようとした。その後、この男性が近くの歩道橋で別な抗議者らと論争していた時に身元不詳の犯人に可燃性液体をかけられ放火された。皮膚の40%以上にやけどを負い、病院の集中治療室で治療を受け、一時は危篤状態に陥っていた
<10> 香港における南アジア人 2016年の人口センサスによると、約58万人いる非中国系住民のうち、家事労働者に多いフィリピン人(31.5%)、インドネシア人(26.2%)に次いで多いのは南アジア系(14.4%)である。内訳はインド系(6.2%)・ネパール系(4.4%)・パキスタン系(3.1%)・バングラディシュ・スリランカなど。南アジア系住民は旧英植民地政策によって香港移住が進められ、数世代に渡って香港で生活してきた。1997年の香港返還に際しては英国籍を取得する南アジア系住民らもいたが、中国・香港籍になった住民も多くいた。香港政府は多文化共生や差別解消などを進めるが、いまだ差別などは残っているという。今回の運動でも南アジア系住民らの参加も見られた。第二章の「民族マイノリティ」の項および第二章訳注<33>参照。2017年に日本でも公開された香港のオムニバス映画『十年』には、アンダー・グラウンドから這い上がろうとする南アジア系青年を描いた「エキストラ」という作品もある。
<11> 毅進(Diploma Yi Jin)は、香港の高校卒業者および21歳以上の成人学習者に提供される教育課程で、「準学士」を取得できる日本の短期大学に相当するコース。19年に訪れた際には、よく集会場となる添馬(タマル)公園に、毅進コースを経て機動隊になった警官の学力の低さを揶揄するデモ隊側のポスターが張られていた。
<12> 2016年の立法会選挙で陳雲(本名・陳雲根)は、香港復興會という政治文化団体の代表として、右翼本土派の政治組織「熱血公民」と右翼ポピュリスト政治家の黄毓民(第一章の訳注<5>参照)が率いる「普羅政治學苑」と共同の選挙連合を結成し、五人の選挙リストの候補者の一人になった。結果は、熱血公民の若手候補の鄭松泰以外は、陳雲を含め落選。なお当選した熱血公民の鄭松泰は、2020年11月に中国全人代常務委員会が民主派議員4人の議員資格をはく奪した際、民主派議員が抗議の総辞職をしたときも一人だけ辞職しなかった(第一章の訳注<21>の【2020年11月の議員資格はく奪】の項を参照)
 


香港の反乱2019 抵抗運動と中国のゆくえ 訳注  5

 


第三章

<1> 2003年7月1日のデモ 民間人権陣線の呼びかけで毎年恒例の返還記念日デモがおこなわれたが(本章訳注<7>参照)、基本法23条にもとづく国家安全条例制定の動きへの不安、そして年初の重症急性呼吸器症候群(SARS)騒動による不景気への不満もあいまって、主催者の予想をはるかに上回る参加者が街頭に進出した。デモ隊が午後4時に解散地点の香港政府庁舎に到達した時点で、まだ多くの参加者が出発地点のビクトリアパークで出発を待っていた。主催者は、参加者が10万人を超えた時点で参加の自粛を市民に訴えざるをえなくなったが、それでも参加者は増え続けた。夜七時ごろには、主催者は50万人が参加したと発表した。警察も、1989年天安門事件に抗議する100万人デモ以来の参加者に達したことを認めた。
デモ隊が反対した「国家安全条例」案は、香港基本法23条を具体化させるための立法化として、香港政府によって2002年9月に提案されたもの。香港基本法23条には「香港特別行政区は国家反逆、国家分裂、反乱扇動、中央人民政府転覆および国家機密窃取のいかなる行為も禁止し、外国の政治組織・団体が香港特別行政区において政治活動をおこなうことを禁止し、香港特別行政区の政治組織・団体が外国の政治組織・団体と関係を持つことを禁止する法律を自ら制定しなければならない」と規定されている。
香港政府は、7月1日の反対運動の高揚に直面して、三項目の修正(①「中国で禁じられた団体の香港の下部組織を違法とする」という部分の削除、②「緊急時には警察が裁判所の捜査令状を持たなくても立ち入り検査を行うことができる」という部分の削除、③「国家機密の違法な公開を禁じる」という部分に「公共の利益のため」をという理由を追加)を発表し、何とか立法院での採決に持ち込もうとした。当時の立法院は、定数60のうち、同法案の審議に反対する民主党派が23議席、親中国派与党の民主建港連盟が22議席、財界を代表する与党自由党が8議席などという構成になっていたが、キャスチングボードを握る自由党が「今年末までの審議延長」を決めたため採決は不可能となった。
<2> 北京に戒厳令が出た直後の1989年5月21日に、香港で中国民主化運動に連帯する「100万人デモ」がおこなわれた。
<3> 世界29都市での連帯集会 19年6月10日付『立場新聞』によれば、ニューヨーク、サンフランシスコ、ロサンゼルス、ワシントンD.C.、シカゴ、バンクーバー、トロント、オタワ、ロンドン、キャンベラ、メルボルン、シドニー、ベルリン、東京、台北、コペンハーゲンなどで集会が開かれた。
<4> 中學反送中關注組 反送中運動には多くの中高生が参加した。「關注組」とは「〜を考えるグループ」といった意味で、各学校には、「反修例關注組」「反送中關注組」などという名称をつけた反対グループが形成され、9月の学校包囲「人間の鎖」行動などを主導した。11月11日には、中高生の反送中団体322が署名した『中學生抗爭五個月宣言』が出され、闘争の勝利まで50年間でも闘うという決意が明らかにされた。
<5> このときの「違法集会」に参加し、他の者への参加を扇動したとして、2020年12月2日に黄之鋒、周庭、林朗彦の元デモシストメンバー3人が、それぞれ13カ月半、10カ月、7カ月の禁固刑の判決を受け収監された。
<6> 日本にも、G20サミット期間中に香港から学生らが来日して、大阪市内で集会や街頭パフォーマンスなどの行動を展開した。大阪市内で開かれたG20反対集会でも、香港の若者が連帯のあいさつをおこなった。
<7> 香港「返還」記念日の7月1日には、97年7月1日の返還日当日の3000人規模(主催者発表)のデモ以来、毎年、香港島の中心部を政府本部まで行進する数百人規模のデモが行われてきた。2003年の50万人デモ(本章訳注<1>参照)以降、参加者は数万から多い時で10万単位となり、時局に関する要求に加えて、普通選挙の実現が訴えられることになった。
<8> 泛民が主導する民間人権陣線がこのときにデモで掲げた「重啓政改」(選挙改革のやり直し)とは、2016年立法会と2017年行政長官選挙の選挙制度について改正する必要があるかどうかを議論・決定する手順をやり直せ、という主張だった。この二つの選挙については、第二章訳注<1>を参照のこと。基本法のルールに沿った「重啓政改」でもう一度おなじ手順でやり直したとしても結果は同じことが予想されたことから、民陣の「重啓政改」という主張はラディカル派や香港本土派から不評を買っていた。
<9> おそらく「我要真普選」(真の普通選挙を!)という雨傘運動で叫ばれたスローガンのことだろう。当日のデモでは、著者の友人らのグループだけでなく、泛民や香港本土派の政党、学聯や社会運動団体などは全車線がデモ用になった車道上にブースを出して、そこを通る55万人のデモ隊を鼓舞したり、それぞれの主張を訴えたり、スローガンを叫んだりしていた。
<10> 旧植民地時代の旗であるいわゆる香港旗は、イギリスによる植民地支配を象徴する旗で、1959年から1997年の主権移譲まで使われた。旗の左上にはユニオンジャック、右半分にはライオンと竜の紋章があしらわれている。
<11> 梁繼平は、香港大学学生誌『學苑』の編集長時代に同誌が編集した『香港民族論』(2014年9月出版)の執筆者の一人。同書は15年1月の施政方針演説で梁振英行政長官(当時)によって名指しで批判された。大学卒業後に、ワシントン大学大学院修士課程で学んでいるときに今回の運動が発生したため、香港に一時帰国し、そのまま運動に参加して7月1日の立法会突入に参加した。立法会からの撤退後すぐにアメリカに戻った。2020年6月に暴動罪などの容疑で起訴されている。なお梁の立法会占拠中の発言の日本語訳はこちらのブログで紹介されている。http://attackoto.blog9.fc2.com/blog-entry-464.html
<12> 7月21日の元朗白シャツ襲撃事件の一周年に、公共放送RTHKのドキュメント番組『鏗鏘集』で放映した番組は、広東語版と英語字幕版がYouTubeで公開されている。
広東語版 「7.21誰主真相」(7.21の真実は誰の手に)
https://www.youtube.com/watch?v=or4B7NpHwbY&list=FLDTdlTjnG_yw80U1A3v5lBQ&index=9
この番組を編集したRTHKの蔡玉玲は、番組で事件にかかわったとされる人物の車のナンバープレートを特定するために虚偽の申請をしたという容疑で、2020年11月3日に逮捕され(当日保釈)、11月10日に起訴された。彼女がRTHK労組の元委員長ということもあり、出廷の際には香港や台湾のメディア関連労組が支援に駆け付けている。2021年1月14日に次回の審理が予定されている。
<13> 雨傘運動の旺角事件 2014年10月3日、三つのオキュパイ地区の一つだった旺角オキュパイ区域に対する襲撃事件。午後から多数の襲撃者がオキュパイ参加者と故意にトラブル起こし暴力事件に発展した。原注14の記事によると、襲撃者は(恐らく)中国政府機関によって雇われた深水埗を拠点とする暴力団メンバーらで、一人あたり、チンピラには800香港ドル、ベテラン組員1,500〜3,000香港ドル、組長には1万香港ドルの日当が支払われたという証言を紹介している。当初、警察は襲撃者らを厳しく取り締まることはせず、夕方になって仕事帰りの労働者らがオキュパイ参加者の支援に駆け付けた頃になってやっと阻止選をはって対立する双方を引き離した。この日の衝突は夜中まで続き、夜10時過ぎには梁振英行政長官が記者会見で、オキュパイに賛成か反対かにかかわらず、衝突現場からすぐに退去するよう呼びかけた(『香港雨傘運動 プロレタリア民主派の政治論評集』第三部参照)。翌日未明にかけて20名近くが逮捕され、警察発表ではこのうち8名が暴力団関係者であった。
<14> 「民衆の歌」(Do you hear the people sing?) ミュージカル「レ・ミゼラブル」の劇中歌。フランス七月王政打倒のため1832年に蜂起したパリ市民や学生らが政府軍を待ち受ける場面で歌われる。
雨傘運動や2019年の反乱の中でもしばしば歌われた。空港座り込みの際に「民衆の歌」が歌われた場面については、以下のサイトを参照すること。
https://www.businessinsider.jp/post-196488
<15> 廉政公署の設立 廉政公署は、汚職を取り締まる独立機構として1974年に設立された。設立のきっかけは、汚職容疑をかけられていたイギリス人総警司(日本の県警本部長級に相等)ピーター・フィッツロイ・ゴッパーが1973年6月に、シンガポール経由で英国に逃亡したことに対して、学生・市民・労働団体を含む幅広い大衆的な抗議運動が発生したことにある。60年代から警察と暴力団との癒着が問題になっていたことに加え、73年には7月7日の釣魚台(尖閣諸島)防衛集会に参加した学生らに対する警察の血の弾圧への怒りなど、警察への反発は高まっており、反汚職運動の盛り上がりに危機感を感じたイギリス本国は、74年4月にゴッパーを逮捕し香港に送還した。75年2月、香港の裁判所は4年の実刑判決を下した。
<16> キャンペーンの中では、どの店が「黄色陣営」(抗議行動を支持派)なのか、そしてどの店が「青色陣営」(親北京派)なのかを表記した地図が出回った。
<17> 北角(ノースポイント) 香港島北東部にある商業・住宅地区で、対岸の九龍半島と往来するフェリー乗り場のある港町。以前から中国本土出身者の親北京派住民が多い地域として知られていた。トラムの折り返し地点でもある。
<18> その後、デモ参加者の中には右目に眼帯をしたり、ガーゼを当てたりして、彼女への連帯を示す人々が多く見られた。
<19> 付国豪は国内の保守強硬派で知られる「環球時報」の記者。徐錦煬は深圳市公安局に同姓同名の警察官がいることが後日の調べで分かっている。
<20> 警察の特殊部隊が8月31日夜10時半ごろ、地下鉄の太子駅に入って、構内に止まっている電車内にいた乗客の頭を警棒で殴りつけた。電車の外にいた警官らは、乗客に催涙スプレーを噴射した。駅構内では、市民の悲鳴や「黒警!」(警察はヤクザだ)との怒号が響き渡った。しかもこの後、警察は負傷者を太子駅からではなく、特別列車で別の駅に移送してから病院に搬送するという行動をとった上、この事件における負傷者数の発表が当初警察発表と消防発表で3人食い違っていたことから、この3名は警察により殺害されたと抗議行動参加者や多くの市民が信じた。封鎖された太子駅の入り口には、祭壇が作られ、白い献花で覆い尽くされた。訳者が9月中旬に太子駅を訪れたときも、次から次へと白い花を持ってくる人が絶えなかった。今もこの事件を祈念して毎月末に献花する人が絶えないが、旺角警察署と隣り合っているためにすぐに警察が来て献花を妨害、撤去するため、2019年11月の区議会選挙でこの地区から立候補して当選した民主派区議・林兆彬らは毎月月末に献花された花を回収して、新界地区の沙嶺にある公立無名墓地の無名墓碑に供えるとりくみを継続してきた。
<21> 訳者が2019年9月中旬に香港を訪れたとき、運動に参加している10代の若者から、中学(香港は中高一貫)での運動の状況を聞くことができた。彼から聞いた話を紹介したい。
9月2日には授業ボイコットや学校ストライキが呼びかけられていたが、実際に行動に移せたのは大学生だった。中学では、教師の多くもストライキに反対で、学校からの処分の脅し、親からの圧力もあって、個人としての参加はあったが、ほとんど組織的にはストライキに参加できなかった。私は仲間とともに、卒業した中学校近くの広場から中学生にエールを送る行動を行った。したがって、9月9日には、学校ストライキではなく、学校を生徒たちが取り巻くヒューマン・チェーンの行動に切り替えられ、約200の学校で実施された。授業が始まる前の時間帯を使って、ほぼ全員が黒いマスクをして、学校の周囲をヒューマン・チェーンで取り囲んだ。しかし、一部の学校では、道路の向こうから非難の声を浴びせられる場面もあったとのこと。
9月9日の高校生によるヒューマンチェーンの動画は、以下のyoutubeサイトで見ることができる。
“Hong Kong students form human chains as protests continue”
https://www.youtube.com/watch?v=KiMZA1OUzUc
<22> 緊急状況規則条例 香港が英国の統治下にあった1922年1月末に、国民党系の海員労組「中華海員工業聯合總會」が発動した賃上げストライキを弾圧するため、同年2月末に制定された法律。海員ストは56日間にわたって続けられ、港湾だけでなく広く香港全体に拡大し経済を麻痺させ、最終的に賃上げをかちとった。
この条例は、行政長官および行政会議(日本の閣議に相当)が「緊急事態もしくは公共の安全に危害が及ぶ状態にある」と判断した場合、行政長官は立法会の審議を経ず、公衆の利益に合致するあらゆる規則を制定することができると定めている。通信や交通の制限、拘束者の勾留延長、財産の没収、強制労働、検閲などが想定され、「実質的な戒厳令に等しい」との批判も根強い。過去には、英植民地時代の1967年に、工聯会(中共系ナショナルセンター)の文革派が爆弾闘争を展開し、市民を含む51人の死者を出した六七暴動の際に発動され、政治的なビラの貼り出し禁止や出版の差し止めなどの措置がとられた。
<23> 11月の「三罷」スト 11月11日の月曜日から16日の土曜日まで6日間の「三罷」ストを呼びかけ、早朝からMTRや通勤バスの経路などでの阻止行動をおこなった。それぞれ11日「黎明行動」(逮捕者287人)、12日「破曉行動」(逮捕者142人)、13日「晨曦行動」(逮捕者224人)、14日「曙光行動」(逮捕者不詳、以下同じ)、15日「旭日行動」、16日「榮光行動」と名付けられた。警察は厳重警備体制を敷いた。初日の11日の早朝には香港專業教育學院柴灣院校の21歳の学生、周柏均さんが警官にわき腹を銃撃された。13日には70歳の清掃労働者が、デモ隊が投擲したレンガが頭部に命中し死亡。夜にはデモ参加者とみられる黒シャツ姿の男性がビルの5階から墜落して死亡した。この一週間の動員に続き、18日の月曜日には理工大学に対する警察の包囲を突破する市民の動員「黎明行動2.0」などが呼びかけられた。
<24> 香港理工大学での闘いについては、香港の英字新聞《South China Morning Post》の動画ニュース“Hong Kong's PolyU siege : From beginning to end”などで観ることができる。
https://www.youtube.com/watch?v=QM7N9XICfes
また2020年9月末には、この闘いを撮ったドキュメンタリー映画『理大圍城』が香港で公開されているが、国安法施行以降は上映活動も厳しくなっている。
<25> 香港理工大学は、九龍紅磡(Humg Hom)地域にあり、MTR東鉄線・紅磡駅からつながる陸橋が、九龍半島中心部と香港と中心部をつなぐ幹線道路「香港海底隧道」の九龍側の出入り口の上に架かっていることから、この陸橋の上から物を落とすことで交通を遮断することができた。MTRの東鉄線は九龍半島南端中心地の紅磡駅から北上してベッドタウンの新界地域を経由して中国との境界駅である羅湖駅までを結ぶ線。中国大陸からの直通列車や貨物列車なども走る。
<26> 「自由か、それとも死か」は、アメリカ独立戦争の指導者パトリック・ヘンリーがバージニアの下院で行った演説の中のことば。「歴史は私に無罪を宣告するだろう」は、キューバのフィデル・カストロ元首相が、1953年7月26日のモンカダ兵営襲撃に失敗したあと、裁判にかけられた際に自己弁論で述べた「私は無罪釈放を求めない。私を断罪せよ。歴史は私に無罪を宣告するだろう」という有名な一節から引用したもの。
<27> 下水道を使っての脱出については、以下のBBCニュースに詳しい。
「デモ参加者、下水道を通って大学から脱出図る 香港」
https://www.bbc.com/japanese/50498426
 


香港の反乱2019 抵抗運動と中国のゆくえ 訳注  4

 

第二章

<1> 選挙委員会 基本法付属文書1で定められた行政長官の候補者を推薦し、選挙で選出する機関。行政長官選挙に立候補するには選挙委員の8分の1以上の推薦が必要となる。選挙委員の定数は1996年400人、2002年800人、2012年1,200人と増加しているが、民主派は選挙委員会による選挙ではなく普通選挙=全有権者による直接選挙での選出を求めてきた。2014年秋の雨傘運動のあと、2015年6月、香港政府は2017年の行政長官選挙で直接選挙を含む選挙制度改革を議会に提案するが、選挙委員会による必要推薦者数を過半数に引き上げ、候補者を2ないし3人に絞る案だったことから、反対の声が強まった。これまでの制度では、民主派でも選挙委員の8分の1以上の推薦で(当選はできないが)立候補してきたが、政府案では民主派の立候補はほぼ絶望的となり、建制派や親中派の候補者からよりマシな候補者を直接選挙で選ぶことにしかならない。選挙制度改革には3分の2以上の賛成が必要で(基本法付属文書1の第7条)、これまで泛民はかろうじて議席の三3分の1一以上(24議席)を維持、つまり拒否権を保持してきたことから、これまでの政府の選挙改革案は泛民のなかの条件派(民主党など)に一定程度譲歩する形で進められてきたが、2015年の選挙制度改革案は、条件派を含めた泛民のほとんどが反対に回ることが予想されたこともあり、建制派が評決前に議場から退出した。結局、賛成8、反対28で政府案は否決され、2012年の制度のまま2017年3月26日に5回目の行政長官選挙が行われることになった。この建制派の退出については、否決されることが分かっている政府案に賛成して世論の非難を浴びることを回避する狙いもあっただろうが、政府案に断固たる賛成を示せない香港土着の建制派政党に中国政府が不満を持つことにもなったと考えられる。行政長官を選ぶ選挙委員会1,200人(実際には重複等で1,194人)は38業種から構成される。業種ごとに選挙を実施するなどして定数の委員を選出する。立法議員と全人代香港地区代表はそのまま横滑りで選挙委員になる。第一章訳注<3>も参照。
<2> 2012年の行政長官選挙前後の情勢分析については區氏の前著『香港雨傘運動 プロレタリア民主派の政治論評集』の収録されている「6月4日、7月1日、そしてX月Y日香港行政長官選挙後の新しい情勢と任務」を参照。同選挙をめぐる様々な動きについては、ふるまいよしこ氏の「2012年、香港行政長官選挙の波乱」に詳しい。
https://www.newsweekjapan.jp/column/furumai/2012/03/2012.php
<3> 共産党中央港澳工作協調小組(香港・マカオ中央調整グループ) 中国共産党内で香港・マカオ政策を担当する部局。中央港澳小組(1978年成立)を改組して、2003年に成立。統括職の組長は国家副主席あるいは全人代委員長級の党政治局常務委員である曾慶紅(2003年7月-2007年10月)、習近平(2007年10月-2012年11月)張德江(2012年11月—2018年4月)、韓正(2018年4月〜)が歴任。2020年2月には「港澳工作領導小組」に改組された。現在、港澳領導小組の責任者は韓正(党政治局常務委員、国務院副総理)が務め、副責任者には公安トップで国務委員(副首相級)の趙克志公安相(党中央委員)と、中国人民政治協商会議全国委員会(政協)副主席で、香港版国家安全法制定の実務を担うとされる夏宝竜・国務院香港マカオ事務弁公室主任(元党中央委員)の二人が就任したと報じられた。(「中国、香港マカオ担当組織を格上げか」、『アジア経済ニュース』、2020年6月5日、
https://www.nna.jp/news/show/2052593?id=2052593
<4> 『「成報(Sing Pao)」』 1939年に何文法らによって創刊された香港の日刊紙。親中国的な論調で知られる。
<5> 青年新政(Youngspiration)  雨傘運動終了直後の2015年1月に結成された「香港ファースト」を掲げる右翼本土派の政治グループ。中国本土からの違法移民の排斥などを訴えるデモなどを実施。2016年9月の立法会選挙では、本土民主前線など立候補資格をはく奪された他の右翼本土派組織や本土派地域政治グループの東九龍社區關注組、天水圍民生關注平台、長沙灣社區發展力量、慈雲山建設力量、屯門社區關注組成立選舉聯盟とともに「香港民族 未来は自分で決める」をスローガンにして選挙ブロックALLinHKを結成し、九龍西選挙区で游蕙禎(Yau Wai-ching)が、新界東選挙区で梁頌恆(Leung Chung-hang)が当選した。しかし議員宣誓の際に「HONG KONG IS NOT CHINA」と書かれたバナーを広げるなどしたことを理由に議員資格をはく奪された。梁頌恆は2020年12月3日にアメリカに逃亡したと報じられた。
<6> 香港社區網絡(香港コミュニティネットワーク) 2010年に結成された非営利団体で、香港政府と連携して少数民族向けの言語サービスを提供する活動等を行っている。「成報」の批判記事に対して同ネットワークは、劉迺強は2014年10月までに同組織の役職をすべて退いている、「青年新政」とは無関係であるなどの反論声明を2016年9月3日に発表した。劉迺強(Lau Nai-keung、1947〜2018)は、香港の主権を民主主義とともに「祖国」中国に返還(回帰)することに賛成する民主回帰派の中心的人物。中国の全国政治協商会議の香港委員(1987〜2007年)、全人代常務委員会の香港基本法委員(2007〜18年)を歴任した。
<7> 「支那」 日本や香港では中国に対する蔑称として用いられる。香港の右翼本土派が「支那」を用いた例としては、2016年10月、青年新政の立法会議員、游蕙禎と梁頌恒が就任宣誓の際に英語で中国のことを「支那(Zi-naa)」と発音したことや、2019年の反乱の際には、デモ隊が連絡弁公室(中聯辨)の外壁に「支聯辨」と落書きしたり、支那+ナチス=シナチスという表現が使われたりした事例などがある。
<8> 中国共産党中央規律検査委員会 中国共産党員の規律違反・腐敗などを監督する最高機関。規律検査委員会は共産党の各級機関に設置されており、中央規律検査委員会がそれらを統括している。摘発に際しては、中国国務院監察部とともに活動することが多い。2017年の第一九回党大会以降、趙楽際が書記となっている。
<9> 駐香港連絡弁公室と国務院香港・マカオ事務弁公室については、序章の訳注<1>を参照。
<10> 中国人民政治協商会議 中国政府に対する諮問・提言機関。中国政府の公式の説明では「中国人民政治協商会議(政協)は国家機構体系内の国家機関に属さず、普通の社会団体とも異なっており、それは最も広範な中国人民愛国統一戦線組織であり、1949年9月に設立された。同会議は、全国委員会と省(自治区、直轄市)、自治州、市、県(自治県)、市管轄区等に設置されている地方委員会によって構成され、メンバーは中国共産党、各民主党派、無党派、社会団体、各少数民族と各界の代表、台湾同胞、香港澳門同胞と帰国華僑の代表および特別招請された人々からなっている。」とされる(中国大使館のサイトによる)。現在の第一三期全国人民政治協商会議は2,158人の委員から構成される。委員長は汪洋(党中央政治局常務委員の序列4位)。
<11> 駐マカオ連絡弁公室 正式名称は「中央人民政府駐マカオ特別行政区連絡弁公室」。1987年に新華社マカオ支社として発足、2000年に現在の名称に変更。2017年9月に同主任(トップ)として赴任した鄭暁松(第一九期党中央委員)が翌18年10月にマカオの自宅から飛び降りて死亡。国務院香港マカオ事務弁公室の発表によるとうつ病を患っていたという。後任は傅自応(第一九期党中央委員候補)が務めている。
<12> 長江実業グループ 李嘉誠が1950年に創立した長江実業を中核とするコングロマリット。不動産業を中心にさまざまな産業に進出している。グループ傘下の和記黃埔(ハチソン・ワンポア)が運営する葵青国際コンテナ埠頭では、2013年3月末から5月初めにかけて、下請け労働者らを組織する工盟傘下の香港碼頭業職工會(労働組合)が戦後香港史上最長の40日間にわたるストライキをおこなった。この争議をたたかった何偉航委員長(工党)は2019年の区議会選挙で西貢区の区議に当選し、20年5月1日の無許可のメーデーデモ参加容疑で禁固2週間(執行猶予18ケ月)の判決を受けている。
<13> 李嘉誠は、2019年8月16日に香港の中国系各紙の一面に全面意見広告を出した。それには、「かつて『黄台之瓜,何堪再摘』(後継者を根絶やしにしないでください)と言ったことがあります」と大書されたメッセージと「香港の一市民 李嘉誠」とだけ書かれていた。これは、則天武后の実子である李賢(655〜684年)が則天武后に兄弟を全部殺してはならないと諫言した詩「種瓜黄台下,瓜熟子離離。一摘使瓜好,再摘使瓜稀。三摘猶自可,摘絶抱蔓歸」(黄の台=皇帝の玉座の下に瓜が熟している、ひとつ間引くと他の実はたわわとなり、二つ間引くと実が減り、三つ間引くとまだ一つ残るが、全部間引くと後は蔓しか残らない)を彷彿とさせるものであった。この言葉は2016年旧正月の旺角暴動の後、会社の業績発表会で李嘉誠が語ったもので、政治的対立が香港の利益を損なうものであってはならないと憂慮したものだったが、この意見広告では、「瓜」は香港を指す暗喩で、皇太子を殺した則天武后は習近平を指すのではないかとも噂された。なお民主派の読者の多い他紙一面には同じ李嘉誠の名義で「愛香港,愛中国,愛自己」「愛自由,愛包容,愛法治」「最好的因,可成最壊的果」(最良の選択が最悪の結果をもたらすこともある)という別の意見広告が掲載された。
<14> 中央法政委員会 中国共産党中央政法委員会は、情報、治安、司法、検察、公安などの部門を主管する党内の機関で、1980年に設立され、一旦は廃止されたが、1990年に復活した。
<15> 「静かなる革命」理論 ロナルド・イングルハートが提唱した、1970年代における社会経済状況の変化、つまり経済的な豊かさの増大、教育水準の上昇、職業構成の変化など脱工業社会への変化に応じて、個々人の価値観が「物質主義的価値観」から「脱物質主義的価値観」へと変化し、それが政治社会全体の変化へと反映されていくというもの。
<16> マズローの欲求段階論 心理学者アブラハム・マズローが「人間は自己実現に向かって絶えず成長する生きものである」と仮定し、人間の欲求を五段階に理論化したもの。一つ下の欲求が満たされると次の欲求を満たそうとする基本的な心理的行動があるとする。五段階の欲求とは、「生理的欲求」(生きていくために必要な、基本的・本能的な欲求)、「安全欲求」(安心・安全な暮らしへの欲求)、「社会的欲求」(友人や家庭、会社から受け入れられたい欲求)、「承認欲求(尊重欲求)」(他者から尊敬されたい、認められたいと願う欲求)、「自己実現欲求」(自分の世界観・人生観に基づいて、「あるべき自分」になりたいと願う欲求)を指す。
<17> イングルハートの用いた質問票は、「四項目指標」に関するものだった。「四項目指標」とは、①国内秩序の維持(身体の安全)、②重要な政治決定に際して発言権を増すこと(政治参加)、③物価上昇との戦い(経済の安定)、④言論の自由の保護(言論の自由)の四つで、このうち、重要と思われるものを二つ選ばせる。ここで、イングルハートは①と③を「物質主義的価値」の項目、②と④を「脱物質主義的価値」の項目として設定している。従って、このなかから二つを選択する際に、①と③を選択すれば、その被調査者は「物質主義型」、②と④を選択すれば、「脱物質主義型」と定義される。そして、そのほかの組み合わせを選択した人は「混合型」と定義される。(『価値観変化と政治変動 : R・イングルハートの理論枠組み』金丸裕志、1997年、「政治研究」44, pp.41-96, 九州大学法学部政治研究室)による。
<18> 抗議活動と関連したと思われる自殺事件には、以下のようなものがあった。
6月15日、35歳の労働者、梁凌杰は、アドミラルティ(金鐘)のパシフィック・プレイス・ビルの上で「送還条例の全面撤回を。我々は暴徒ではない。学生を釈放せよ。林鄭月娥は辞任しろ。Help Hong Kong。反送中 No EXTRADITION TO CHINA。MAKE LOVE No shoot!」と書かれた横断幕を掲げて五時間籠城したが、夜九時に救助に訪れた消防士らをかわしてビルの上から飛び降りた。翌一六日のデモには200万人が参加したが、主催者は梁の死を悼んで「参加者200万プラス1人」と発表した。
6月29日、香港大学に通う21歳の女性、盧曉欣が、郊外の新界粉嶺にある高層団地の壁に「法案の全面撤回、逮捕された学生らの釈放、林鄭月娥の辞任、警察の処罰という当初の理念を堅持してください」「私の小さな命を200万人の願いの実現と引き換えに捧げます」などと書かいた遺言を残して飛び降り自殺した。
6月30日、29歳の事務員の女性、鄔幸恩がフェイスブックに「香港がんばれ!だけど7月1日のデモにはいかない、あまりに絶望したから」などというメッセージを書き残してセントラルの国際金融センターから飛び降り自殺した。
7月3日、28歳の女性、麦が「民選でない政府は私たちの訴えに応えない」「無力感に苦しんでいる」「一緒に戦えなくてごめんなさい」と書かれた遺書を残して自宅の長沙湾の団地から飛び降り自殺した。
7月22日、デモの評価を巡って家族と対立した26歳の男性、范遠聰が沙田の団地のビルから飛び降り自殺した。
8月26日、25歳の男性、郭がインスタグラムに「香港のために香港人は声を上げ、涙を流し、傷つき、血を流してきたが結果は予想からは遠いものだった。」「僕は強大な敵には勝てなかったけど、最後まで頑張れば必ず勝てる。香港人がんばれ!」などというメッセージを残して觀塘の高層団地から飛び降りて亡くなった。
9月4日、林鄭月娥が逃亡犯中国送還条例改正の中止を発表した夜、27歳の女性、何は新界粉嶺のビルの21階から飛び降りた。彼女は止めようとした男性に対して運動のスローガンを問いただし、男性が「五大訴求、すべて実現しよう」と答えると、「香港人がんばって」と告げて飛び降りた。
2020年1月15日には英国パスポートを持つ67歲のロバートと61歳の妻、梁が尖沙咀のマンションから飛び降り自殺した。遺書には運動支援と「煲底見!」というメッセージが残されていた。(煲底」は直訳すれば「鍋の底」のことだが、立法会ビル1階の広場を指す。「運動に勝利した暁には立法会の広場で会おう」という意味になる。このほか、警察による殺害が疑われる事件については第三章の訳注<20>を参照のこと。
<19> ブラックブロック 欧米でのデモ行進などに登場する黒ずくめの服装をした戦闘的集団のこと。1980年代から姿を見せ始めたが、特にリーダーがいたり、大きな組織を作ったりすることなく、数人で構成される集団が行動のたびに集合する。戦術としては、大衆的なデモ隊を背景にして、警察との衝突や資本主義的とみなされる店舗の焼きうちなどをヒット・エンド・ラン方式でおこなうところに特徴がある。
<20> 本土民主前線(Hong Kong Indigenous) 2014年秋の雨傘運動を主導した学聯・学民思潮や泛民らへの批判から2015年1月に結成された右翼本土派団体。香港で使われている広東語や繁体字は現在の中国の公用の普通話や簡体字よりも古くからある、英植民地支配のなかで香港の市民意識は法治、自由、民主などの価値を持っているなど、香港人は中国大陸の住民よりも優れているという主張にもとづく。結成以降は各地域で中国から観光を装った多数の密貿易の「運び屋」らが地域住民に迷惑をかけているとして中国人を追い出せというヘイト行動を組織化。2015年1月24日「光復上水」(上水を取り戻せ)、2月8日「光復屯門」(屯門を取り戻せ)、3月1日「光復元朗」(元朗を取り戻せ)行動を呼びかけ、警備の警察らと衝突した。5月21日には香港の祖母のもとに来て両親から育児放棄されたままオーバーステイになった中国籍の12歳の少年の特別在留許可手続き対して「香港人ファースト」を掲げて出入国管理局に抗議行動を呼びかける。戦術面では「徹底抗戦」や「等価報復」など過激な主張で権力との対決を煽り、2016年2月8日の旧暦の大晦日には旺角騒乱(彼ら曰く「魚蛋革命」)を引き起こし、90名が逮捕され51人が起訴され、最高7年の禁固刑を受けた。「光復香港 時代革命」は、メンバーの梁天琦(エドワード・レオン)が2016年の立法会補選(新界東)に立候補したときの選挙スローガン。梁天琦については、ドキュメント映画《地厚天高》(林子穎監督、邦題:天の高さを知りながら)がある。
<21> レディット(Reddit) アメリカを中心とした英語圏のソーシャルニュース・投稿サイト。「サブレディット」と呼ばれるスレッドを個人が自由に作ることができる。
<22> 連登 LIHKG討論區(フォーラム)の通称。iOSの高登(Golden)フォーラムのサードパーティアプリ「HKG+」から進化した香港のオンライン討論フォーラムで、2016年11月25日に正式サービスが開始された。今回の運動では秘匿性が高い通信アプリ・テレグラムとともにネットワーク化や情報共有のツールとして大いに活用された。
<23> 「オーウェル的社会」 作家のジョージ・オーウェルが1949年に刊行した小説『一九八四年』に描かれた世界のこと。世界を分割支配する三つの超大国は、それぞれ一党独裁の全体主義国家で、お互いに「永久戦争」と呼ばれる紛争を続けることにより、支配階級による永続的支配を続けている。各国では、支配党への絶対忠誠が要求されている。
<24> 中国語圏で使われている漢字には繁体字と簡体字がある。繁体字は旧来どおりの漢字で台湾・香港およびアジア圏の中華圏で使われている。簡体字は中華人民共和国で使われている簡略化された漢字。1956年に国務院が制定し、1986年の改訂を経て現在に至る。
<25> 1989年の中国民主化運動では「和平・理性・非暴力」の原則が守られてきた。特に学生指導部は厳格な非暴力主義を堅持し、自衛武装を主張した一部の学生や労働者を非難している。北京では6月4日の戒厳軍による弾圧のあとでも、戒厳軍の車両に対する攻撃以外には、共産党・政府の建物や商店に対する暴力的攻撃は一切なかった。
<26> 立場新聞(Stand News) 2014年7月に閉鎖された『主場新聞(House News)』の後を継いで、同年12月に創立された本土派の主張に近い独立系オンラインメディア。著者も時折文章を寄稿しているが、21年6月末の蘋果日報の廃刊事件をきっかけに、次は立場新聞が弾圧されるのではないかということで、筆者の文章を含め多くの論評を削除している。
<27> 蘋果日報(Apple Dairy) 黎智英(Jimmy Lai Chee Ying)が1995年に創立した中国語・広東語日刊紙。黎智英が創設したメディアグループ・壹傳媒有限公司(Next Digital Ltd.)の傘下にある。北京政府に反対し、民主派を支持する急先鋒。20年8月10日に海外と結託して国家に危害を及ぼした国家安全維持法違反の容疑で逮捕(同容疑の公判は21年7月以降に予定)。21年5月には19〜20年の一連の無許可デモを組織・参加した容疑で20カ月の実刑判決を受け服役中。当局の金融制裁によって21年6月24日の最終号をもって廃刊した。日本語版序文の訳注<1>も参照。
<28> 工黨(労働党) 2011年に結成された泛民のリベラル左派政党。工盟の労組役員などが個人加盟するほか、新世界第一巴士職工會(バス労組)、香港物業管理及保安職工總會(守衛労組)の工盟加盟労組と市民団体の公民起動(女性や性的少数者の権利擁護に取り組んできた元立法議員の何秀蘭の政治団体)が団体加盟している。2012年立法会選挙では4議席を獲得したが、2016年の選挙では一議席(張超雄)の獲得にとどまり、李卓人も落選した。2019年の区議会選挙では5つの区で7人が当選している。現在の党首は1980年代生まれの郭永健。http://labour.org.hk/
<29> 香港社會工作者總工會 1980年に結成された社会福祉関連の労働組合で、工盟の加盟労組。2015年で2万人ほどいるソーシャル・ワーカーのうち1,200人ほどを組織している。今回の運動でも早い段階から運動に参加し、衝突現場でのトラブル回避などにも尽力。2019年12月17日から19日にかけて警告ストを打つなど積極的に運動に参加している。組合結成のきっかけは、香港政庁の社会福祉職の待遇改革で正規職とボランティア職員とのあいだで待遇格差をつけようとしたことに反発したことや、1970年代末に5〜7万人ほどいた水上生活者らによる安全な居住を求める運動(台風などで毎年被害者が出ていた)などを支援していたソーシャル・ワーカーらが、当時数千人いたとされる九龍半島西側先端の油麻地(Yau Ma Tei)地区の水上生活者らと請願に向かう途中で、公安条例違反で71人が逮捕され有罪になったこと(1979年油麻地艇戸事件)だった。こうした歴史的経緯から、社会的な運動にもとりくむ姿勢が当初からあった。組合のサイトは、https://www.hkswgu.org.hk/
<30> 「中環和你lunch」 直訳すると「セントラルで一緒にランチを」。昼休み中に中環地区で集会・デモをおこなうとりくみ。2019年10月2日、「中環快閃遊行」(セントラルを急いでデモする)というイベントが開催されたのが最初。
<31> 二百萬三罷聯合陣線(二百200万人の三罷ストのための統一戦線) 五大要求実現を訴えた三罷スト(ゼネスト)は、2019年8月5日以外は失敗した。それを受けて同年末から三罷ストの成功を目標とする新しい労組が次々に誕生する。街頭闘争や大学籠城闘争の行き詰まりのなか、2019年12月に入り、同陣線に結集する新しい労働組合を中心に、医療関連労組(12月11日)、事務職員関連労組(13〜14日)、社会福祉関連労組(15日)、舞台芸術関連労組(16日)などが屋外集会や抗議スタンディングを実施。17〜19日には社会福祉関連の労働組合が三日間の警告スト、23〜27日には音楽業界関連労組がストを打った。26日に記者会見した同陣線のスポークスパーソンによると「香港では897労組90万人が組織されているが(400万人の労働人口の)少数しか組合の恩恵を受けていない。しかも、組織されている三3分の1一は建制派(体制派)の組合で、組合員の権利のためではなく、安定した労使関係のために存在している。ストライキは結社や言論の自由とともに『基本法』で保障された権利だ」と述べ、組織化された労働者の力で五大要求の実現を訴えた。職工會登記局によると登記された労組は2020年5月までに前年比210増の1,076労組に上っており、19年6月から20年5月までの間の申請件数も4,328件と例年を大幅に上回る件数になっている(これは立法会議員や行政長官選挙委員会で一定の労組枠があり、それに影響を及ぼそうとする黄色・藍色の両陣営の思惑が反映されているが、実体のないペーパー労組の可能性も高い)。同陣線に結集する労働組合は39労組、現在設立準備中が11労組で、工盟傘下の労組も参加している。新しい労組のカードルの中心は著者のいうところの「一九九七1997年世代」で、工盟とも協力しながら三罷ストを準備してきた。国家安全維持法の制定が持ち上がった2020年6月には、23の労働組合が国家安全維持法反対のスト権投票を呼びかけた。目標投票数6万票、6割以上の賛成でスト突入という基準を設けたが、「国安法反対」「スト突入」の両議案は90%以上の賛成を得たものの、肝心の投票数がわずか8,943票だったことから三罷ストは見送られた。学生らも国安法反対、学生スト突入の投票を呼びかけ、賛否投票を実施したが、目標投票数1万のうち、ウェブ投票ではない投票所での投票数5千票を条件とした。実際の投票数は1万0,101人に達して、その9割ほどが学生ストに賛成した。しかし、実際に投票所に足を運んだのは3,600人余り(他はウェブ投票)だったので条件をクリアできずに、こちらも見送られた。サイトは、https://hkonstrike.com/ 第一章の訳注<29>も参照。
<32> 「警員親屬連線」のフェイスブック・ページは2020年に入ってからはほとんど更新されていない。カバー画像には「私たちは敵ではない(WE ARE NOT ENEMIES)」と大きく書かれている。
https://www.facebook.com/PoliceRelativesConnection/
<33> ジェフリー・アンドリュース(漢字名:安德里、英語名:Alterin Jeffrey Andrews)は、2019年7月におこなわれた民主派による立法会予備選挙に、九龍西選挙区から無所属で立候補した。そのときには「安徳里」の名前を使い、香港における少数民族の参政権を主張した。しかし、得票数は同選挙区で最下位に終わった。2021年1月6日の予備選立候補者に対する55人の一斉逮捕で彼も逮捕されたが、2月末に起訴された47人には含まれていなかった。
<34> 香港における移住家事労働者は、本文中にあるように、主にフィリピンとインドネシアの出身者で占められる。ほとんどが家庭に住み込み、仕事が休みとなる日曜日にはビクトリア広場などに集まって、お互いの交流や情報交換をおこなっている。訳者も、香港訪問時にはその光景を何度となく見た。また、工盟は、移住家事労働者の組織化に熱心で、いくつかの家事労働者組合が組織されている。訳者も、2005年1月のWTO閣僚会議反対のデモでは、そうした移住家事労働者の大きな隊列を目撃した。
 


『香港の反乱2019 抵抗運動と中国のゆくえ』訳注 3

 

第一章
<1> 両足で歩く(兩條腿走路) 1950代後半からの「社会主義建設」の時期以降に用いられたことばで、中央と地方、工業と農業、中国の経験と海外の経験などをバランスよく考慮して実行することを指した。著者は、かつては「社会主義建設」のために使われたこの用語を、皮肉を込めてここで使っているのだろう。
<2> 基本法第二三条には、以下のように規定されている。
「香港特別行政区は国に対する謀反、国家を分裂させる行為、反乱を扇動する行為、中央人民政府の転覆、国家機密窃取のいかなる行為も禁止し、外国の政治組織・団体が香港特別行政区内で政治活動を行うことを禁止し、香港特別行政区の政治組織・団体が外国の政治組織・団体と関係を持つことを禁止する法律を自ら制定しなければならない。」
<3> 行政長官と立法会における普通選挙 香港基本法四五条では、行政長官の選出方法について、「最終的には広汎な代表性をもつ指名委員会が民主的手続きによって指名し、普通選挙で選出するのが目標である」と書かれているだけであり、現行の間接選挙から普通選挙への移行については、付属文書一で「2007年以降、各期行政長官の選出方法を修正する必要が出た場合、立法会全体議員の三分の二の賛成と行政長官の同意が必要であり、同時に全国人民代表大会常務委員会に報告して批准を受けなければならない」と規定されているだけである。普通選挙を実施するかどうかの判断は中国全人代常務委員会にゆだねられており、2004年4月に全人代常務委員会は、三年後の07年の行政長官選挙においては、香港における民主選挙の歴史が浅く、世論のコンセンサスもまとまらないことなどを理由に普通選挙は実施しないという判断を下した。
その後、2007年12月には、5年後の2012年の行政長官選挙と立法会選挙では普通選挙は実施しないが、10年後の2017年の行政長官では普通選挙を実施「できる」、立法会については行政長官の普通選挙が実施されたのちに立法会の全議席を普通選挙で選出「できる」とした。そして2014年8月31日の全人代常務委員会の決定(いわゆる「八三一決定」)は、2017年の行政長官選挙から普通選挙を実施することはできるが、立候者は選挙委員会を改組した候補者指名委員会の過半数の推薦を得た二ないし三人に限られるとした。候補者指名委員会は政府あるいは業界関係者が多数を占めることが予想されたことから、民主派候補者を事実上締め出すことになるこの「八三一決定」に民主派や市民らが反発して雨傘運動に発展した。本章訳注<10>参照。2019年の抵抗運動を受けて、中国全人代常務委委員会は2021年3月末にで香港選挙制度改革を決定する。選挙委員を現在の1200人から1500人に増員、立法会の定数を現在の70議席から90議席に増員し、選挙委員会選出枠の議席を新設、立候補者資格審査委員会を新設するなどが骨子。これを受けて林鄭月娥は21年5月末までに香港議会で可決し、6月中に有権者登録を終え、9月に選挙委員会の選挙を実施し、12月に立法会選挙、22年3月に行政長官選挙を実施したいと明言。立法会改革の具体案は、直接選挙枠は現在の35から20議席に削減、民主派が地滑り的勝利を果たした区議会枠6議席は廃止して全人代等の香港代表に充てられるなど含め職能枠は30議席に削減(民主派の強かった分野の職能枠が統廃合される)、そして新たに40議席の選挙委委員会枠が設けられる。選挙委員会は1500人に増員され、現在民主派が多数を占めている区議会枠(定数117)は廃止され、地域の防犯・消防委員1395人の互選で選ばれる156人の枠に組み替えられる。現在の防犯消防委委員には 19年11月の区議会選挙で落選した体制派の元区議が多数任命されている。また中国国内の香港人組織も選挙委員会に400以上の議席を持つことになると言われており、選挙委員会は従来以上に中国政府の影響力が大きくなる。
<4> 自由党(Liberal Party) 返還前の1991年の立法会選挙で、定数60のうち18議席で普通選挙が実施され、民主派が普通選挙枠の17議席(他に1議席を得て、計18議席)を獲得したことに警戒した香港政府当局が土着の資本家を支援して作らせた政党。1993年の結党以降、返還後の2004年立法会選挙で10議席と躍進したことを除くと、普通選挙枠での議席はほとんどなく、職能選挙枠のみの議席を維持してきた。つまり大衆的基盤のない政党である。自由放任の経済政策を掲げており、最低賃金法や団体交渉法、労働時間規制には反対してきた。いわゆる体制派(建制派)に含まれ、返還以降は中国政府との関係改善に努めてきたが、国家安全維持法など、治安関連法をめぐっては中国政府とは一線を画すこともある。
<5> 社会民主連線 2003年の国家安全条例反対の50万人デモの勢いを受けて、従来の民主党などの穏健路線に飽き足らない左右のポピュリスト政治運動のアマルガム(合金)として2006年10月に結成。他の穏健民主派への対抗アクションや直接選挙区当選議員による辞任・補選を通じた事実上の「普通選挙を求める住民有権者投票」(2010年5月)、党内の極右派ポピュリスト議員と三合会(香港マフィア)とのつながりなど、世論だけでなく民主派運動内部でも物議をかもしてきた。スキャンダルの多くは創設時の代表である、黄毓民(メディアの辛口コメンテーター、2008年立法議員に当選、普羅政治學苑Proletariat Political Institute主宰)ら極右派ポピュリストらによるもの。黄毓民ら極右派ポピュリストは、他の民主派政党への対抗行動に不満を持つ党内左派からの批判を受け、2011年に分裂して他の政治潮流と政党「人民力量」を結成した(黄毓民ら極右派は2013年には人民力量からも分裂し、2017年4月には政界からの引退を表明した)。現在は、創設メンバーの一人で、かつて革馬盟(革命的マルクス主義者同盟)のメンバーだった梁國雄(2004年から立法議員。16年まで連続四回連続当選するも、議員宣誓の不備を理由に失職)ら急進左派や保釣運動(釣魚台[=尖閣諸島]防衛運動)メンバーらに加えて、若手活動家らが参加するリベラル左派的性格を持つ政党になっている。
<6> 皇后埠頭防衛キャンペーン 長年にわたって九龍半島の尖沙咀と香港島の中環をつなぐ庶民の「足」となってきたスター・フェリーの発着埠頭の移設にともなう取り壊しに対して、文化的・歴史的な価値があるとして保存を訴えた運動。皇后埠頭(クイーンズピア)は香港島側の埠頭である。20〜30代の青年が結成した「本土行動」(Land Justice League)が中心になって、埠頭の運用が停止された2006年末から07年7月末まで座り込み・デモ・ハンストなど一連の運動が続いた。若い世代における「本土意識」を社会的に可視化した。特筆すべきは現在の右翼本土派と違い、中国人に対する排外主義的な主張は全く見られないことである。むしろ資本主義的開発主義に対する反発が主にあったといえるだろう。この運動に参加した青年たちの多くが、2008年暮れから始まる高速鉄道建設に伴う強制移転に反対する石崗菜園村の運動にかかわっていく。これらの運動に参加してきた朱凱迪は、2016年に運動を基盤として新界西地区から立候補し、最高得票数で立法議員に当選する(2020年9月末に議員辞職辞任、21年1月に国安法違反容疑で逮捕・拘留中。日本語版序文訳注<4>参照)。
<7> 高速鉄道プロジェクト 中国とのあいだにある新界地区の石崗地区にある菜園村が、中国・広州から深圳を経由して香港の九龍中心部までの高速鉄道の緊急避難駅予定地になったことから、2008年末に突然「二年以内に移転する」よう告げられた地元住民らとその支援者らが反対運動を展開した。立ち退きの対象となった住民らの多くは、英植民地時代からの「原居民」(中国南部の家父長的宗族社会で、英植民地政府から地域統治の特権を与えられてきた。本章訳注<26>も参照のこと)ではなく、1950年代以降に中国本土からやってきた移民とその子どもたちなので、土地の所有権などがなかった。反対運動の支援に入った青年たちは、前述の皇后埠頭(クイーンズピア)保存運動からの青年を含む80年代生まれ世代が中心。デモ、署名、立法会包囲、「苦行」(一定歩数を進んでは跪いて訴えるパフォーマンス)などさまざまな活動にとりくみ、高速鉄道建設がハイクラスや利権団体、政治家など既得権益者らの利益にしかならないこと、巨額の建設費用を社会福祉などに回すべきだと社会的に訴えた。ドキュメント映画『鐵怒沿線』三部作などで映像化されている。その後、住民らは集団で近隣への新規開拓を条件に移転に応じた。
参考確認資料https://theinitium.com/article/20160609-hongkong-choiyuenvillage/
<8> 2012年の抗議行動 2007年6月末に香港を訪れた胡錦涛国家主席は、香港における青少年の国民教育の強化および中国本土との交流に言及した。再任された曾蔭權・行政長官は、その3か月後の10月の施政方針演説で「道徳と国民教育」を独立した教科として新設する方針を明らかにする。以降、毎年の施政方針演説で「道徳と国民教育」に言及し、2012年に小学校、13年に中学校で同教科の実施を計画した(香港の中学は中高一貫なので計12年間)。2011年5月に教科の指導手引き案が公表され、パブリックコメントが募集される(集まったコメントはいまだ非公開)。同月、「洗脳教育反対」を掲げて中高生の組織「学民思潮」が結成され、反対運動を展開した。2012年7月に行政長官に就任した梁振英が、政府のシンクタンクが作った同教科の手引きを全学校に配布したことで、保護者組織や教職員組合、学民思潮や学聯など20以上の社会組織が反対連合「民間反對國民教育科大聯盟」を結成し、10万人規模のデモ、署名、ハンストなどを展開した。新学期直前の9月7日、梁振英はAPEC(ロシア・ウラジオストック)への参加を急遽中止し、翌日に同教科導入の延期を発表した。運動をけん引した学民思潮や経過については、『言論の不自由 香港、そしてグローバル民主主義にいま何が起こっているのか』(2020年8月、ジョシュア・ウォン他著、中里京子訳、河出書房新社)に詳しい。
<9>「広東語を守れ運動」と2010年7月25日の抗議行動  広東語は中国語の方言の一つで、広東省や広西省、香港、マカオを中心に三千万人以上が日常的に使う言語。5か月後にアジア競技大会を控えた2010年6月、広東省の省都広州市の政治協商会議が、広州市営テレビで標準語(普通話)の番組を増やすべきかどうかのウェブアンケートを実施した。回答者の8割が反対した。7月、広州市協商会議が市政府に対して、「アジア競技大会に向けて」広州テレビ局の主要チャンネルを広東語から普通話に変更することなどを含む提案を正式におこなったことで、反対世論が沸騰した。地元紙も地域の小学校で広東語が禁止されるケースが存在していることを報じるなど、「広東語を守れ」の世論が拡大。7月25日には市民らを中心に二千人が集まって広東語の保護を訴えた。広東省および広州市当局も「広東語を廃止しようという意図はない」と反対世論の鎮静化に追われた。一週間後の八月一日にも広州市内で千人規模のデモがおこなわれた。香港でも数百名の連帯デモがおこなわれ、中国本土からも参加者があった。
<10> 八三一決定 2007年の行政長官選挙の選出方法についての全人代常務委員会の決定文書で「2017年には行政長官を普通選挙で選出することができる」と明記した。2013年3月から香港で盛り上がったオキュパイ・セントラル運動が、翌14年7月に普通選挙を求めて金融街のセントラル(中環)地区をオキュパイすると宣言し、大衆的な規模で真剣に議論を始めた(訳注<13>参照)。
中国政府の香港代表部は「2017年の普通選挙は必ず実施する」「行政長官は愛国愛香港の人間でなければならない」「候補者指名委員会が長官選挙の候補者を指名することは基本法で明記されていることから、検討すべきは指名に関する民主的過程だけである」と表明。香港政府は2013年12月から5カ月の諮問機関を設け、指名委員会の構成、候補者決定の詳細や2016年立法会選挙における細部について広く諮問した。民主派は有権者1%の推薦、得票率5%以上の政党などが候補者を擁立できるという「市民候補」を提起した。
2014年に入り、香港政府の選挙改革検討三人委員会のメンバーら(林鄭月娥・現行政長官も一人)が「基本法に定められた実現可能な漸進的方策を提起すべき」「民主派の『市民候補』案は基本法四四条に記載されている指名委員会の権限を削減するもの」などと表明。3月の中国全人代でも委員長(議長)の張徳江は「普通選挙は西側のものをそのまま採用することはできない」と釘を刺した。諮問期限の5月初めまでに、約12万4,700件の意見が寄せられた。7月15日に香港政府が発表した諮問結果報告書で「『愛国愛香港の行政長官』、『基本法の規定に合致すること』、『候補者指名の権限は指名委員会にある』という意見が主流を占める」と報告し、民主派の意見である「市民候補」は「一部の意見として」と表現するにとどめ、全人代常務委員会に対して報告を提出した。
8月31日、全人代常務委員会は「指名委員会の選出は従来の選挙委員会を踏襲する」、「指名委員会の過半数の推薦を受けたものから候補者を二〜三名選出する」「その二〜三名の候補者から全有権者による普通選挙を実施する」という決定を下した。これによって1,200名の推薦委員会は親中派や産業界の有力者が多数を占めることになり、従来は選挙委員の八分の一の推薦で候補者になれたので民主派も立候補できたが(2007年、12年ともに民主派候補がいた)、この「八三一決定」では民主派の立候補はほぼ不可能となった。そのため、親中派の候補者二〜三人から選出するだけの「普通選挙」にしかならないという反発が広がり、9月からの学生ストやオキュパイ運動を引き起こすことになった。雨傘運動は敗北したが、2015年6月18日の香港立法会で政府案が否決され、2012年の選挙方式が17年にも引き続き適用されることになった(親中派が欠席し、民主派が多数の議会で否決。第二章訳注<1>参照)。
<11> 香港專上學生聯會 香港の大学・大専の学生会の連合組織。1958年に四つの大学の学生会で結成された。中国共産党系の学生活動家などがイニシアチブを握ってきたが、1980年代に入り、中国や台湾でも民主化の動きがはじまると民主化支援への立場に転換していった。80年代の中国の開放政策もあり、香港返還を巡る中英交渉のさいにも、中国の趙紫陽首相に書簡を送り「民主返還」の立場を伝える。1989年民主化運動では、香港で連帯集会やデモを開催し、代表が北京で政府への申し入れや天安門広場でのハンストにも参加した。返還後も「民主派」として六・四天安門事件追悼集会や七・一民主化デモの主催団体の一つとして活躍。2014年雨傘運動では、学民思潮とともに真の普通選挙を主張して、7月のオキュパイ予行演習や9月学生ストを主導し、オキュパイ・セントラル運動の急進化を促した。
しかし、雨傘運動敗北の責任を主に右翼本土派から攻撃され続け、翌15年には香港大学、香港浸會大学、香港城市大学、香港理工大学の四つの学生会が脱退し、香港中文大学、嶺南大学、香港樹仁大学、香港科技大学の四大学の学生会で構成されている。2015年の六四追悼集会では学聯として初めて不参加、16年には七・一デモを主催してきた民間人権陣線(本章訳注<25>参照)からも脱退した。
<12> 学民思潮 道徳・国民教育の授業化にむけて、香港政府は学校関係者や保護者の団体には意見を求めたが、当事者である学生たちには特に意見を求めなかったことから、政府の方針に反対する中高生(香港は中高一貫)らが2011年5月に結成した団体。教職員組合や保護者の組織とともに「民間反対国民教育科大聯盟」を結成して、デモ、政府庁舎包囲行動、ハンスト、スタンディングなど反対運動をけん引し、同年9月に授業化を断念させた。黄之鋒(ジョシュア・ウォン)は結成呼びかけ人、林朗彦(アイヴァン・ラム)、周庭(アグネス・チョウ)らがメンバー。2017年行政長官選挙と2016年立法会選挙の民主化推進でも、2013年6月に全有権者に選挙権、被選挙権を付与する案を提起した。2014年4月からのオキュパイ・セントラル運動では学聯とともにもっともラディカルな選挙制度改革案を打ち出し、それに続く9月からの雨傘運動でも運動をけん引した。六四天安門事件記念集会や七一民主化デモにも参加。個別メンバーは新界地区の巨大開発事業に反対する地域闘争にも参加し、立法会内で座り込み闘争などをおこなった。2016年3月に解散し、黄や周ら一部のメンバーは、嶺南大学の学生で当時の学聯書記長だった羅冠聡(ネイサン・ロー)らと政党「衆志/デモシスト」を結成して立法会選挙への立候補などに取り組んだ。黄を中心とした一連の動きは黄の著書『言論の不自由 香港、そしてグローバル民主主義にいま何が起こっているのか』(河出書房新社、2020年8月)に詳しい。
<13> 愛と平和のオキュパイ・セントラル(讓愛與和平佔領中環 Occupy Central with Love and Peace) 2016年の立法会選挙と17年の行政長官選挙で普通選挙の実施を求めるために、2013年3月から呼びかけられた市民的不服従運動。香港大学助教授の戴耀廷が同年1月、地元紙「信報」に投稿した「公民抗命的最大殺傷力武器」(市民的不服従という最大の殺傷力を持った武器)で、金融街の中環(セントラル)地区を非暴力の座り込みで占拠(オキュパイ)することで普通選挙を実現しようと呼びかけた。3月には香港中文大学助教授の陳健民と著名なプロテスタント牧師・朱耀明の三人(オキュパイ・トリオ)がマニフェスト(信念書)を公表し、誓約書への署名、普通選挙案の大衆的議論と確定、そしてそれを迫るための一万人規模の不服従行動(オキュパイ)という一連のとりくみへの参加を呼びかけた。6月にマニフェストに賛同する700人の活動家らが今後の計画を議論。2014年元旦には、「行政長官選挙の候補者を選ぶ推薦委員会の代表性を高める」「候補者の選別をしない」「一般立候補を認める」という三点についてのウェブ投票を実施した(6万2,000人が投票、賛成が圧倒的多数)。また、2013年末から14年初めにかけて、各分野・団体など20以上もの民主的議論を組織して市民的不服従の世論形成に力を入れた。2014年3月に二回目の全体討論会が実施され(参加者600人)、一票の権利に差別のない選挙権と被選挙権、自由権規約に則った選挙案などが打ち出され、非暴力トレーニングなども実施した。5月の三回目の全体討論会では15通りの普通選挙案について、不服従行動に参加を宣誓した2,500人余りによる予備投票が行われ、もっともラディカルな学聯・学民思潮の案を筆頭にラディカルな上位三案が選ばれた。6月下旬には、この三案の市民投票が実施され、79万人が投票。学聯・学民思潮案は30万票で次点となり、泛民の連合組織「真普選聯盟」の案が33万票で選ばれた。同案は「有権者1%の推薦」「直近の選挙で5%以上の得票率の政党の推薦」「指名委員会の推薦」のいずれによっても候補者を擁立できるとする案だった。
中央政府の強行姿勢を前に、実際のオキュパイに踏み込もうとしないオキュパイ・トリオに業を煮やした学生らを中心に、7月1日の民主化デモの解散地点となった中環でオキュパイの予行演習を強行し、筆者を含む511人が逮捕された(オキュパイ・トリオは反対して参加せず)。運動のイニシアチブはオキュパイ・トリオや泛民からよりラディカルな青年・社会運動に移行した。9月の学生ストから立法会包囲闘争を経て、オキュパイ・トリオが想定していた秩序ある非暴力の市民的不服従のオキュパイは、警察の催涙弾を号砲とした二か月以上にも及ぶメインストリートを完全占拠した「雨傘運動」に発展し、当初の想定を超えた形で実施されることになった。戴耀廷は20年6月に実施した本土派や泛民らによる統一候補選出の予備選挙を画策したことが国家安全維持法違反に問われ、21年1月に逮捕、2月末に起訴され、3月現在も拘留中。
<14> 香港立法会 香港の最上位議会。定数70で4年ごとに改選される。35議席は五地域の中選挙区制、35議席は29の職能別の選挙区から選出される。直近の2016年選挙では建制派(体制派)が40議席(地域選挙区16、職能別選挙区24)、反対派(民主派・本土派など)が29議席(地域選挙区19、職能別選挙区10)、中間派1の勢力図。職能別選挙区は英植民地時代に導入された統治制度で、地域選挙区とは異なりアッパークラスや体制派の候補者に有利に作用する。民主派の「普通選挙」という要求は行政長官の直接選挙のほかに、この職能別選挙区を廃止して全ての議席を一人一票の普通選挙=地域選挙区から選出することも含まれている。2016年9月の立法会選挙の結果、反対派(民主派、本土派など)の構成は、民主党7、公民党6の他は1〜2議席の10近い政党・政治団体が乱立。香港政府は2020年9月に予定されていた立法会選挙を、コロナを理由に一年延長。11月に全人代常務委員会が4人の公民党議員らの議員資格はく奪したことで、15人の民主派・本土派議員も抗議して辞職した。本章訳注<21>参照。なお、選挙制度改革については、本章訳注<3>後半も参照。
<15> 香港職工會聯盟(Hong Kong Confederation of Trade Unions、HKCTU) 1990年に結成し、現在公称95組合19万人を組織する香港第二の労組ナショナルセンター(香港の労働組合の状況については本章訳注<29>を参照のこと)。民主派に分類され、最低賃金法の成立(2011年5月1日施行)、団体交渉権の立法化(97年の香港返還直前に制定されるが返還直後に議会が解散させられ、親中派で固めた臨時立法議会で同法は凍結=事実上の廃止されたまま現在に至っている)など、香港における労働者の権利向上にとりくむとともに、普通選挙の導入などの民主化運動や中国国内の民主化、労働人権にもとりくむ。2005年12月のWTO香港会合に対する反対運動でも活動の中心を担った。国際労働機関(ILO)では、中国政府が官製労組しか認めず団結権を侵害していることを指摘し続けてきた。支聯會の代表で長年工盟の委員長を務めてきた李卓人やキャセイ労組出身で工盟委員長を務めた呉敏兒など議会活動にも積極的に取り組んだ。第二章訳注<28>参照。現在二人とも国安法違反の容疑で収監中である。
<16> 太古飲料(香港)職工總會工會(Swire Beverages (Hong Kong) Employees General Union) キャセイ航空などを所有する国際企業グループのスワイヤー・グループ傘下の飲料水企業(コカ・コーラとの共同出資)で働く配送員の労働組合。1983年に結成し、HKCTUの加盟組合になっている。団体交渉権を要求したことで会社が2013年に業務委託化を提案したが、それを阻止するストライキを打ち、翌年に団体交渉権を獲得した。
<17> 香港教育專業人員協會(Hong Kong Professional Teachers' Union) 約9万8,000人を擁する香港最大の教員組合(単組としても最大)で民主派ナショナルセンターの香港職工会聯盟(HKCTU)に加盟している。組合員及びその家族向けに割引価格で経営するスーパーや旅行社などの収益などを原資として民主化運動や教育事業への支援を行っている。
1971年に、教員の俸給表を公務員から切り離して事実上の賃下げを行う政府案がだされ、それに反対する過程で1973年にストライキが打たれる中で結成された。このストを指導した司徒華(2011年没)が初代委員長を務めた(1990年まで)。1985年の立法局選挙では、職能別選挙区(教育界)から立候補した司徒華が当選し、以後現在まで教育界の1議席を維持しつづけている。司徒華は中国共産党ともつながりを持ち、1950年代から教員を務めてきた。1973年の教員ストに反対した共産党組織の組織的指導から徐々に距離を置くようになった。1985年には基本法起草委員会の23人の香港人委員の一人に就任したが、89年北京の春への弾圧(六四天安門事件)で同委員を辞任し、天安門事件の名誉回復と中国民主化運動を支援する「香港市民支援愛國民主運動聯合會」(支聯會)の主席として活動した。1990年には香港民主同盟を結成し、香港職工會聯盟の結成にも尽力した。1991年からは、導入された地域直接選挙区に鞍替えして当選し、94年には中国政府ともパイプのあった民主党派「匯點」と合同して民主党を結成して、2004年まで議員を務めた。本書の著者の區龍宇は1986年の反原発運動や中国民主化支援、香港返還の闘争で司徒華の路線と対立した回想を残している。
・卅年前的懦弱 卅年後的苦果——1986反核運動(30年前の惰弱による30年後の苦境、2016年12月10日)https://bit.ly/36rKdmq
・司徒華領導下的支聯會(司徒華が指導した支聯會、2016年6月8日)https://bit.ly/3qVtGk0
・維園要去,支聯要改,黔驢要入欄(天安門追悼集会に参加すべし、支聯会は改革すべし、黔驢は柵に入れておくべき、2015年6月4日、『香港雨傘運動 プロレタリア民主派の政治論評集』に収録)https://bit.ly/36npEr4
<18> 香港專上學生聯會の街頭フォーラムを妨害 2014年10月12日に雨傘運動による街頭オキュパイが行われていた金鐘、旺角、銅鑼湾で学聯が呼びかけた街頭討論集会に対して、当時嶺南大学中文学部の副教授だった陳雲がfacebookで妨害行動を呼びかけた。「今日午後3時の旺角が學聯の命日となる。共産主義匪賊スパイのカス野郎で全員消滅に値する學聯の売港賊(香港売国奴)に、地獄の門は開かれた。諸君らは警察による強制排除に対峙するような態度で、學聯による旺角での大会に対処せよ。この大会が開催されてしまったら、警察が血の鎮圧に乗り出してくるだろう。」陳雲の呼びかけに応えた右翼本土派ら数十人が旺角の學聯テントを取り囲んで集会をやめるよう攻撃した。
<19> 大台 集会やコンサートのメイン・ステージや舞台を意味し、運動シーンにおいては「指導者」、「指導部」、「リーダー」とほぼ同義語。香港では「リーダーのいない運動」は往々にして「リーダーを攻撃する運動」となり、民主的で集団的な議論で方針を決めるのではなく、右翼本土派の政治ゴロらの言説を実体以上に大きな影響力を持たせることになった。
<20> 黄色陣営と青色陣営 民主派・反政府派・デモ支持派は黄色、体制派・政府・警察支持派は藍(青)色がシンボルカラーになっている。実力行使を厭わない、あるいはそれを支持する層は「深黄」(ディープ・イエロー)、非暴力のデモ支持層は「浅黄」(ライト・イエロー)とも呼ばれる。デモ支持派のショップは「黄店」、政府支持のショップは「藍店」と呼ばれる。中国政府系の企業は「紅色企業」(赤い企業)と呼ばれる。
<21> 議員資格剥奪 この間の議員資格剥奪のケースは、2016年の議員宣誓に関するもの、2018年の補選における立候補資格に関するもの、さらに2020年11月の4人の現職議員の資格はく奪に関するものの三つがある。
【2016年議員宣誓事件】
立法会選挙で当選した議員は、香港基本法第104条「香港特別行政区行政長官、主要官員、行政会議の構成員、立法界議員、各級裁判所の裁判官および司法人員は就任する際、法に依って中華人民共和国香港特別行政区基本法を擁護し、中華人民共和国香港特別行政区に忠誠を尽すことを宣誓しなければならない」の規定によって、議員宣誓をするとされている。その定型文は「中華人民共和国香港特別行政区基本法を擁護し、中華人民共和国香港特別行政区に忠誠をつくし、職責を全うし、法令を遵守し、清廉潔白に香港特別行政区に奉仕します」というものだが、2016年9月の立法会選挙で当選した議員らが10月12日の議会初日の最初に行う議員宣誓で、宣誓の定型文に反発した独立派・民主自決派の議員らが宣誓文を批判的にアレンジしたり、パフォーマンスを入れたりした。このことを「基本法を侮辱した」などという口実にして、梁振英・行政長官が裁判所に訴え、2人の独立派議員(独立派政党「青年新政」の梁頌恆と游蕙禎)と4人の民主派議員(姚松炎、劉小麗、羅冠聡、梁國雄)の議員資格をはく奪した。
6人の議員の資格はく奪の理由とされた「議員宣誓」は、次のようなものだった。香港民族の利益に忠誠を誓う等の文言を盛り込み、「Hong kong is not China」のバナーを掲げ、英語での宣誓でChinaを「シナ」と発音した(梁頌恆、游蕙禎)、真の普通選挙を実現するなどの文言を盛り込んだ(姚松炎)、一文字を五秒以上かけて読むことで文言を無意味化させた(劉小麗)、「市民的不服従」「梁振英行政長官は辞任せよ」「真の普通選挙の実現」「中国政府の許可などいらない」と叫び、黄色い傘と基本法と書かれたボードを破るなどのパフォーマンスをおこなった(梁國雄)。こうした「議員宣誓」について、全国人民代表大会常務委員会は、11月7日に全会一致の155票の賛成で「宣誓拒否は資格喪失になる」「不誠実な宣誓は拒否と同じであり公職を失う」「この解釈に沿わない宣誓も無効となり、再宣誓はおこなえない」という基本法104条の解釈を決定した。香港政府は、基本法104条と宣言・声明条例二一条(「遵守しなかった場合の結果:本部が要求する宣誓を行うよう正式に招かれたにもかかわらず、宣誓を拒否し、または怠った場合、(a)既に宣誓を行っている場合はその職を明け渡さなければならず、(b)宣誓を行わなかった場合は、宣誓を行う資格を失うものとする。」)に違反するとして、梁頌恆、游蕙禎について「宣誓無効」の裁判を起こし、11月15日に高裁で「梁・游両者の宣誓は無効」の判決が出された。両者は控訴院(高裁のなかの控訴法廷)したが、11月30日に原判決を維持する判断が下された。その後、最高裁に控訴したが17年8月25日に不受理の決定が下されたことで議員資格喪失の判決が確定した。また、他の4人(梁國雄、姚松炎、劉小麗、羅冠聡)の議員宣誓についても、香港政府は「基本法(および全人代解釈)に反する」として議員資格の抹消を求める裁判を起こした。2017年3月1〜3日に集中審議がおこなわれ、7月14日には4人の議員資格を宣誓当日の16年10月12日にさかのぼってはく奪する決定が下された。その後、梁國雄と劉小麗は資格回復を求めて上告。劉は18年5月末に上告を取り下げた。梁は19年2月に控訴院で敗訴した後、最高裁に提訴している
【2018年補選立候補資格】
空席となった6議席のうち4つの選挙区(3地方選挙区と1職能別選挙区)で2018年3月に補選が行われた(残り2選挙区は資格はく奪の無効を訴える司法手続きが終わらず、日程が後にずれた)。民主派は地方選挙区で2議席を確保したが(姚松炎が落選)、当選した區諾軒と范國威の2人は、19年9月に補選における候補者資格の認定の不備を理由に当選を取り消された。
2018年3月の補選では、選挙管理委員会がデモシストの周庭と本土派の劉頴匡の立候補を認めず、周と劉がそれぞれ提訴していた。19年9月に高裁で周と劉の訴えが認められ、それによって18年3月の補選で周庭と劉頴匡が当初立候補する予定だった選挙区から立候補して当選した區諾軒と范國威の当選そのものが「不適切な選挙の実施」によるものだとして当選を取り消された(區諾軒と范國威は最高裁に上告したが、同年12月に訴えは退けられた)。
【2020年11月の議員資格はく奪】
立法会の専門委員会の議長選出でフィリバスター(議事引き延ばし)を行った穏健民主派の郭榮鏗(公民党・弁護士職能選挙区)、楊岳橋(公民党)、郭家麒(同)、梁繼昌(会計士職能選挙区)の4議員の資格を全人代常務委員会が一方的にはく奪した事件。全人代の報道官は、4議員が香港独立を支持し、基本法に抵触したことなどが理由だとしており、今後おこなわれる選挙の立候補資格にも同理由を適用すると述べた。これに抗議して他の民主派・本土派・急進民主派の議員らも全員辞職を宣言した(なお反対派だが、排外主義の陳雲らの思想をバックボーンにしている「熱血公民」の議員一人は辞職せず)。
本書の著者は11月12日のfacebookの書き込みで「(抗議の)総辞職という戦術は誤りである。全体主義と大粛清のもとでは、反対派はパブリックな場面での公然活動を継続するとともに、水面下においては組織化を強化するという二正面作戦をさらに強化する必要がある。ゆえに今回こそ『各自それぞれ頂上を目指し』[2019年の運動のスローガン]、議会を去る者と留まる者がそれぞれ活動を行いながら、同盟関係を維持し続けることが必要なのである。香港の民主化運動は、全体主義に抵抗する海外の社会運動の経験から学ぶ機会が少なかったがゆえに、今回のような低次元の誤りを犯してしまった」と厳しく指摘している。
<22> 銅鑼湾書店事件 習近平ら中共指導者の批判やスキャンダルを描いた書籍などを扱っていたインデペンデント書店「銅鑼湾書店」の経営者と店主、株主ら5人が2015年10月から12月にかけて中国当局者によって中国国内、タイ、香港などで拘束され中国・監禁された事件。失踪後、本人らからは「中国にいる」「心配しないで」という連絡が家族らに入っていたが、香港では大きな事件として扱われた。
10月に失踪し、8カ月後の16年5月に香港に戻った銅鑼湾書店の創設者で店長だった林榮基は、香港警察への告発を取り下げたのち、中国当局の恫喝に屈せず拉致監禁の経過を語ったことで事件の真相の一端が明らかになった。林は監禁中の2月に政府系メディアの取材に対して「罪を犯した」ことを認めるとともに、タイで拉致された銅鑼湾書店の株主の一人、桂民海の容疑を裏付ける証言をしていた。その後、2019年4月に台湾に移住、20年3月に台北で銅鑼湾書店を再開している。
銅鑼湾書店の経営者だった李波は、2015年12月30日に香港で中国当局者に拉致・連行。16年2月に政府系メディアの取材を受けて「自分で中国にやってきた」「取り調べに協力している」「英国籍は放棄した」などと答え、ほかの2人(呂波、張志平)と前後して3月中に香港に戻り、香港の警察に出していた告発をすべて取り下げ、一切の説明を拒否した。
2015年10月にタイで拘束され中国に連行された桂民海は、16年1月に中国浙江省寧波市で起訴された。容疑は2003年に桂民海が同市で起こした交通事故で人をひき殺した事件に関連したもの。事件自体は2006年に禁固2年、執行猶予2年の判決が出されていたが、桂は執行猶予期間中に他人のパスポートで国外に移住し、スウェーデン国籍を取得していた。その後、2014年に銅鑼湾書店の経営権を取得。本人の「自供」によると、今回は自らの罪を悔いて自首したという。寧波地裁は桂の執行猶予を取り消し、二年の禁固刑を執行。桂は2017年10月に満期釈放されたが、違法経営という別件の調べが続いていたことから出国できなかった。スウェーデン政府は、桂の病気治療のために領事館員を寧波に派遣して北京まで護送しようとしたが、護送中の列車に乗り込んできた中国の警察に再度逮捕された。容疑は国家機密漏洩、国家安全への危害。2020年1月、寧波裁判所は桂に10年の懲役、5年の政治的権利のはく奪の判決を下した。桂は上告せず、スウェーデン国籍も放棄したとされている。
<23> 正式名称を「二〇一九年逃犯及刑事事宜互相法律協助法例(修訂)條例草案」(逃亡犯及び刑事事件に関する相互法律支援法(改訂)条例案)といい、海外で罪を犯して香港に逃亡した容疑者を引き渡すための「逃亡犯条例」および「刑事事件に関する相互法律支援条例」の適用範囲を広げて、中国・台湾・マカオ当局にも容疑者を引き渡すことができるようにする改正案。「逃亡犯条例」は1997年の返還直前に英植民地政府が制定したが、その際には刑事司法制度や人権状況に懸念があることから対象地域から中国を除外しており、返還後も引き続きこの条例が適用されてきた。修正案が立法会に上程された時点で以下の20カ国(うち19カ国との条約が発効)と犯罪人引渡条約を締結している。オーストラリア、カナダ、チェコ共和国、フィンランド、ドイツ、インド、インドネシア、アイルランド、韓国、マレーシア、オランダ、ニュージーランド、フィリピン、ポルトガル、シンガポール、南アフリカ、スリランカ、イギリス、アメリカ(未発効)、フランス(未発効)。なお2020年7月1日に中国が「香港国家安全維持法」を施行したことにより、カナダ、オーストラリア、イギリス、ニュージーランド、ドイツが相次いで引き渡し条約を凍結している。
法律改正の発端は、2月17日、香港人男性の陳同佳が一緒に台湾を旅行していた香港人女性の潘曉穎を殺害・遺棄し、香港に逃げ帰ってきたあと、事件が発覚したことにある。児童買春以外では香港当局は海外での犯罪を裁くことができず、女性のキャッシュカードを使って現金を引き下ろした行為を窃盗とマネーロンダリングの容疑で陳同佳を3月に逮捕。台湾政府が三度の引き渡しに関する協議を申し出るも、香港政府はそれを無視し、2019年2月13日に突如、法律の改正案を立法会に上程した。陳の裁判自体は、19年4月末に2年5カ月の実刑判決(未決拘留含む)を受けて服役し、2020年10月23日に満期釈放された。
香港政府は20年2月から3月までのあいだにパブリックコメントを募集し3,000件の賛成、1,400件の反対意見が寄せられた。当初、殺人罪のほか経済犯罪を含む46の犯罪が対象になっていたが、3月に中国公安省の元副大臣が、中国で重大な犯罪を犯して香港に逃亡している容疑者300人以上を特定し、香港当局とも協議してきたが引き渡しには至らなかったことを明らかにするなど、脛に傷のある香港財界人らに不安が広がった。香港財界人らの政党である自由党の田北俊名誉主席は「ビジネスマンは国家転覆など企まないので基本法二三条の法制化(国家転覆などを裁く)よりも、今度の法律の方が怖い」などと発言。香港政府は財界の不安に配慮して法案から9つの経済犯罪を除外し、3年以上の懲役刑に限定して4月3日の立法会本会議に修正案を再提案した。その後、立法会で同法案委員会が設置されるが民主派によるフィリバスター(審議引き延ばし)や体制派による強引な第二委員会の設置など6月までの議会内での攻防などは、『香港危機の深層 「逃亡犯条例」改正問題と「一国二制度」のゆくえ』(2019年12月、倉田徹・倉田明子編、東京外国語大学出版会)に収録されている「逃亡犯条例改正問題のいきさつ」に詳しい。法案の審議は6月12日の議会を取り巻いたデモ隊と警官隊の衝突を受けて本会議が中断され、デモの盛り上がりを受けて6月15日には法案の審議そのものを中断、9月4日に法案の凍結を発表した。
<24> 基本法第八条には次のように規定されている。
「香港の従来の法律、すなわちコモンロー、衡平法(エクイティ)、条例、付属立法および慣習法は、本法に抵触するかまたは香港特別行政区の立法機関が改正したものを除いて、保持される。」
<25> 民間人権陣線 略称は「民陣」。40以上の政治団体や社会運動団体から構成される民主化運動のプラットフォーム。国家転覆などを犯罪化する基本法23条の法制化に反対して2002年9月に結成。03年7月1日の民主化デモで50万人を動員して23条法制化を阻止した。その後、毎年7月1日には民主化を求めるデモを主宰してきた。逃亡犯条例改正案が上程されて3月31日に最初にデモを呼びかけたのも民陣。ほぼ毎年、加盟組織による選挙で「呼びかけ人」(代表)を決める。2020年10月以降は、社民連の陳皓桓が呼びかけ人を務めている。
<26> 元朗白シャツ襲撃事件 2019年7月21日に新界地区の元朗地区で、中心地での抗議デモ帰りの住民(黒シャツを着ている場合が多い)に対して、元朗地区の地縁組織のメンバーら数百人が武器を持った白シャツ姿で襲撃した事件。立法議員やメディア関係者らだけでなく一般の通行人も襲撃されて50人近くが負傷した。襲撃は元朗駅構内や車両にまで及んだ。ウェブ中継を見ていた多数の人たちが地元の警察署に通報したが、警察は襲撃者が立ち去ってからしか現場に現れなかった。この事件で逮捕されたのは20年4月の時点でも30人余りで、起訴されたのは7人にすぎず、警察の対応が批判されている。元朗駅での襲撃事件を引き起こしたと言われる組織犯罪シンジケートは、「三合会」と言われる犯罪組織。「三合会」は香港にある複数の犯罪組織の総称で、「14K」、「新義安」、「和勝和」などが有名である。「三合会」については、以下のサイトを参照すること。
https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-49079916
元朗は九龍半島側の中国との境界地域である新界地区にある(新界地区には島嶼部も含まれる)。この新界地区は1898年にイギリスに九九年の期間で租借された地区。香港島は1842年の南京条約でイギリスに割譲、九龍半島は1860年の北京条約で割譲。新界地区には英国が侵略する前から有力氏族が支配しており(原居民と呼ばれる)、英植民地政府は支配強化のために有力氏族ら原居民に一定の政治的・経済的支配権を容認し、原居民らも慣習法に守られ男系にだけ認められた排他的な土地所有の権利や税線面での優遇権利を持っており、その権利は基本法40条にも明記されている。
新界地区には27の郷事委員会が設置されており、村の伝統行事や住民行政などについての意見を取りまとめる。郷事委員会は約700ある村等から選挙で選ばれた村代表が委員を務める。かつては原居民にしか選挙・被選挙権がなかったが、2000年に香港の終審法院(最高裁)が香港人権法案条令と性差別禁止法に抵触するという見解を示し、03年の選挙では原居民の代表と新住民の代表をそれぞれ選出する制度に変更された。たとえば2019年1月の郷事委員会の選挙では、新住民は695村からそれぞれ村代表1人、原居民は603村から789人の代表、それに原居民がいなくなったとされる2つの墟鎮の代表56人(長洲39人、坪洲17人)、計1,540人の代表を選挙で選ぶ。各郷事委員会の主席27人は自動的に当該区の区議会議員になる。新界の行政サービスに関する上位の諮問機関として、郷事委員会の主席と副主席から構成される郷議局がある。郷議局の主席は自動的に立法会の議員になる。
原居民らは伝統的な地縁・血縁を通じて経済的、政治的な権限が保障され、行政組織や警察などとの関係も深いことから、排他的な経済権益組織や闇のネットワークが機能してきた。原居民を中心とする郷事委員会や郷議局は伝統的に政府との関係が強く、「郷事派」と呼ばれる政治勢力を形成してきた。返還後は親中派・保守派の政治勢力となっていることから、元朗の地縁・血縁でつながった排他的な政治・経済組織が2019年7月21日の元朗襲撃事件の中心となったのではないかと言われている。事件の10日ほど前には中聯弁(中国政府の香港代表での機関)の役人が元朗の郷事派に対して「元朗が暴徒に襲われないように愛国愛郷精神を示してほしい」と発破をかけている。
2019年1月に行われた郷事委員会の選挙では、民主派が選挙共闘を組んで立候補するなど民主化は進みつつあるが、郊外住民運動の活動家で立法会議員の朱凱迪が立候補資格を認められなかった事件も発生した。新界の原居民の伝統や風俗については『香港危機の深層』(倉田徹、倉田明子編、東京外国語大学出版会)の「第9章 新界、もう一つの前線」(小栗宏太)に詳しい。
<27> レノン・ウォール(連儂牆) 2019年の抵抗運動では、法案反対や五大要求などのメッセージを書いたポストイットやカード、イラストなどを通路用のトンネルや陸橋にまとめて掲示する取り組みが各地で出現した。2014年の雨傘運動の金鐘オキュパイに隣接した政府本部ビルの屋外階段の壁全体にポストイット(メモ用シール)に書いたメッセージを張り付けたのが最初で、2019年の運動で復活した。もともとは、チェコのプラハにある壁に、1980年にジョン・レノンが殺されたあと、ジョン・レノンの肖像画や彼の歌の歌詞などが描かれるようになり、「ジョン・レノン・ウォール」と呼ばれるようになったことに由来する。この壁は当時の反体制的な若者たちのシンボルとなった2019年7月には、梁凌杰(Marco Leung)を追悼する作品が「ジョン・レノン・ウォール」に描かれた。
<28> テレグラムTelegram スマートフォンなどで利用できるグループメッセージの無料サービス。暗号化や秘匿性の高いシステムをオープン・ソースで提供していることから多くの運動参加者が利用した。通常のディスカッションや宣伝だけでなく、デモ参加者やバックオフィスのメンバーがデモの最中に警察の動きや封鎖線などをいち早く伝えることで、デモ参加者らが機動的な動きを取ることができるなど、運動の動員ツールとしても利用された。
<29> 香港の労働組合 2018年に職工會登記局に登録されている香港の労働組合はナショナルセンターごとに、香港工會聯合會(FTU・親中国系)191組合42万6,919人、港九勞工社團聯會(FLU・体制派)94組合6万0,796人、香港職工會聯盟(HKCTU・民主派)82組合、14万1,783人、港九工団聯合総會(TUC・国民党系)27組合6,028人、独立系458組合。組織率は25%。
香港の労働組合は、結社の自由と労働組合参加の自由が香港基本法27条で明記されており、職工會条例(労組法)で団結権が保障されている。同業種あるいは同雇用主の労働者7人以上で労組結成が可能。争議権は労使関係条令(仲裁調停)、雇用条例(労基法)に記載されているが、団体交渉権は、1997年返還直前の民主派多数の議会で制定されたが、返還直後に民主派を排除した臨時立法会で最初に廃止された。法的保障はなく、力のある組合が個別で団体交渉をおこなっている状態。
組合数は2013年809組合、2014年819組合、2015年821組合、2016年828組合、2017年836組合、2018年846組合、2019年866組合(暫定値)と逓増傾向だったが、2020年5月までに1,076組合に急増し、組合結成の申請件数も2019年6月から2020年5月2日までの期間に4,328件に上った。
その理由はいくつかある。一つには体制派・中立派の労組に組織される職場からの反乱という性格がある。たとえば、公務員労組の多くは運動の側に立ち切れなかったが、2019年8月2日には、それに批判的な若年層の労働者を中心に4万人集会がとりくまれ、それを契機に新公務員工會(Union for New Civil Servants)を結成したり、当初はデモ隊に融和的だった香港MRTが警察の部隊を輸送したり、株主である当局の締め付けなどでデモ隊に厳しい対応をするようになったことなどを契機にして港鐵新動力(Railway Powe)という新組合が結成された。
二つ目の理由はそれとも関連するが、2019年8月5日以外には成功しなった三罷スト(労働者、商店主、学生のストライキ≒ゼネスト)の失敗を受けて、いずれ三罷ストを成功させるためである。上述のように、親中国系、体制派の労組が過半数以上を組織する状況で効果的な三罷ストを行うことは極めて困難であり、また街頭闘争の行き詰まりを受けて、民主化運動の力を職場や地域に浸透させたいという思惑からである。
三つ目の理由は、立法会の労組枠議席(定数三)および行政長官選挙をおこなう選挙委員会(定数1,200)の労組枠(定数60)に影響を及ぼすためである。行政長官の立候補には150以上の選挙委員から推薦を得る必要がある。また、選挙権は選挙委員にあるので、一つでも反体制派の選挙委員が増えることが望ましいということである。労組枠の選挙権を得るには結成一年以上という条件があり、2022年に予定されている行政長官選挙に関与するためには、選挙委員会の選挙(21年末を予定)までに一年以上の活動実績、つまり遅くとも20年下半期までの設立が必要条件となることから、19年後半から労組の設立機運が高まった。
立法会にも同様に労組枠の職能別選挙区があり、定数も他の職能別選挙区は各1に対して、労組枠は定数1となっている。投票権は各労組が1票持っているので、2016年選挙では組合数の多いFTUが2議席、FLUが1議席を確保している。2020年9月に予定されていた立法会選挙では、反体制派の新労組から香港酒店工會(Hong Kong Hotel Employees Union、HKCTU傘下)、香港調酒師工會(Bartenders & Mixologists Union of Hong Kong)、香港資訊科技界工會(Hong Kong Information Technology Workers’ Union)の若い指導者3人が労組枠で立候補する予定だった。当然FTUやFLUも新労組の組織化をおこなっていると予想されるので当選の見込みは厳しいが、批判票を目に見える形で組織化することを優先したと考えられる。労組枠ではないが香港教育專業人員協會(本章訳注17参照)や香港社會工作者總工會(Hong Kong Social Workers General Union、HKCTU傘下)、公立病院の職員らが結成した医管局員工陣線(本章訳注<30>参照)などもそれぞれの職能別選挙区から立候補する予定だった。民主派の総意としては、この職能別選挙区の廃止=全面的な普通選挙の実施を求めるという立場でもある。
なお、伝統的な民主派として毎回立法会選挙に候補者を擁立してきた職工會聯盟(HKCTU)も、呉敏兒委員長が2020年9月の立法会選挙に地域選挙区(新界西)から立候補する予定で、同年7月に民主派・本土派などの候補予定者でおこなわれた予備選挙に参加したが、自決派や本土派と呼ばれる候補者の勢いに圧され、8人中6位となったことで立候補を辞退した(立法会選挙は新型コロナウイルスを理由に一年延期された)。呉敏兒委員長は予備選立候補が国家安全維持法に違反したとして21年1月に逮捕された53人の泛民・本土派候補らの一人で、そのうち呉委員長を含む47人が起訴され、呉委員長を含む44人が21年3月現在も拘留中。
<30> 醫管局員工陣線(Hospital Authority Employees Alliance、HAEA) 43の公立病院などを統括する医院管理局に所属する労働者が2019年11月末に結成した労働組合。約8万人の職員(医師6,500人、看護師2万5,000人など)のうち8,000人を組織する。反送中デモの負傷者などを治療する公立病院ではたびたび看護師らの連帯スタンディングが取り組まれていた。コロナが拡大した2月、中国との往来を停止することや十分な人員や医療資源の供給を要求して2月3日から7日までストライキをおこなった。委員長の余慧明は20年6月の予備選挙に立候補したことが国家安全維持法違反に問われ、21年1月に逮捕、2月末に起訴され、21年3月現在も拘留中。
<31> 黄色経済圏(イエローエコノミーサークル) 「黄色い店」(黄店)と呼ばれる、反送中運動や民主派を支援するレストランやショップを利用することを呼びかけたとりくみ。シンボルカラーの黄色は、2014年の雨傘運動の傘の色が由来とも言われる。「普通話(中国本土の標準語)を話すお客さんお断り」という張り紙が張られた「黄店」もあり、物議をかもした。
 


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