今日の一言

  

『イラン・パペ、パレスチナを語る』より

 

三つの建国神話

  イスラエルは建国時から近代国家だと思いますし、その建国は非常に典型的 な脱植民地期になされ、そして建国神話を伴いました。私が異議を唱える三つ の建国神話があります。
……
  さて、一番目の建国神話は、一九四八年に小さなユダヤ民族は、奇跡的にもアラブの巨大な軍隊と戦っていた、とされていることです。イスラエルの精神にとってこれはたいへん重要です。ユダヤ人のダビデがアラブ人のゴリアテ を一九四八年に破ったというわけですから。しかしこれに対しては、純粋に一九四八年当時の軍事的観点から次のことがわかっています。一九四八年のどの時点をとってみても、ユダヤ軍とアラブ軍の対立においては、兵士の数や装備、訓練度などから見て、つねにユダヤ軍のほうが上手であったということです。
  実証的な次元での軍隊の規模の大小は、それほど重要でありませんが、しか し心理的な次元では、つまり「イスラエル人の集合記憶」にとっては、アラブ世界に対して勝ち目のないはずの自分たちがつねに勝ってきたという考え方は大きな意味をもちます。こうした考え方は、いまでもイスラエル人にあります。イスラエルという国家が中東で、もしくは世界中で見ても、最大最強の軍隊をもっている今日でさえ、そうなのです。大半のイスラエル人は自国を最も弱い国だと捉えていますが、これは逆説的に働きます。つまり、イスラエルは二五〇発の核爆弾が必要だと言い、実際にそれだけもっているわけですが、それは自分たちがそれだけ弱いからだと言うのです。けれども、二五〇発もの核爆弾を保有する国が非常に弱い国だなどと言うことはできないでしょう。(つづく)

 


第三部 内なる国境より抜粋

ユダヤ人国家誕生後五〇年、社会を二分するこの分裂状況の中では、民主主義と連帯に立脚する社会を理想像とし て抱く人々、世俗的だが文化の多様性を尊重する人々、アラブ世界に心を開き、同時にフランス革命やアメリカ独立 戦争の精神である民主主義を尊重する人々にとって、もはや活動できる場所がだんだんなくなりつつある。二つの悪 のうちマシな方を選ぼうとすると、そしてほんの少し前まで「主要な敵」と呼んでいたものを否定しようとすると、 社会を二分する境界の一方の側へ転げ落ちる危険がある。私たちは、これら二つの破壊的な考え方のどちらをも選択 しないという困難な選択をしなければならない。イスラエルを中東諸国を侵略するネオリベラル十字軍の前線基地化 しようとする勢力と、イスラエルを新メシア思想を唱えるラビが指導する原理主義と民族主義で相互補強された武装 ゲットーにしようとする勢力との両方に対し、同時に闘わなければならないのだ。

 

著者 ミシェル・ワルシャウスキー(Michel Warschawski) イスラエルの平和運動家。イスラエル社会主義組織『マツペン』に属して、 反シオニズムの姿勢をとり続け、『マツペン』分裂後、オルタナティヴ・イ ンフォメーション・センター(AIC)所長。パレスチナの不法テロ組織を 支援したとして実刑20ヵ月を言い渡された。

『国境にてイスラエル/パレスチナの共生を求めて』定価3800円+税 ISBN978-4-8068-0663-9


第一章 パレスチナの「民族浄化」

パレスチナ人の追放の開始(抜粋)


五月一五日をもってアラブ諸国との軍事衝突に直面することになるのはわかっていたので、ユダヤ人指導層はすでに一九四八年二月に、つまりはイスラエル国家の創設に先立つ三ヶ月前から、パレスチナ人の追放作戦を開始していました。それはある日、地中海岸に面する五つの村を排除することから開始されました。そして驚かされることには、イギリスは、まだ当時治安維持の責任を有していたにもかかわらず、干渉をせず、ユダヤ人たちが五つのパレスチナ人の村の住人を大小のトラックに乗せ、アラブ諸国との国境を越えて彼らを放逐するのを、やりすごしました。
  私が話を始めるにあたって言及した会議は三月にもたれ、彼らはこっちの五つの村にあっちの五つの村にといったような散発的なやり方にとどまらず、パ レスチナ人全体を体系的に排除し始めることを決定しました。彼らは、この国土を一二の地域に分割し、おのおのの地域に軍の部隊を配置し、それぞれの部 隊に各地域のなかの町や村のリストを受け持たせることを決定しました。そし て彼らは、各村の人びとだけにとどまらず、都市や町の人びとまでも効率的に 排除しました。私の生まれ故郷でもそれが行なわれていたのです。彼らはある一日でハイファの町から七万五〇〇〇人の人びとを追放しました。一九四八 年四月二一日のことです。そして数日後には、ほぼ同数のパレスチナ人をヤーファの町から追放しました。イスラエル国家の建国を前に、三五万人のパレスチナ人が自らの家から追放されたのです。
  このことが重要なポイントであるのは、今日のイスラエルの公式な立場では、 アラブ世界がイスラエルに対して戦争を仕掛け、パレスチナ人たちに退去するように呼びかけたために、難民問題が発生したのだ、とされているからです。 それに対して私が述べた出来事は、戦争以前のことであり、すでにパレスチナ人の半数が難民になっていたのです。そしてイスラエルは、残りの半分を追放するために、戦争を利用しました。ですから戦争によってパレスチナ人が難民になったのではありません。イスラエルがパレスチナ人に対する民族浄化を企図したことによって彼らは難民になったのであり、戦争はパレスチナ人の難民の原因なのではなく、そうした結果を生み出すための手段だったのです。
  建国の前後を通じて、イスラエルは合計で約五〇〇の村、一一の町を破壊し、 ほぼ一〇〇万人のパレスチナ人を難民としました。それと同時に、戦争の終結を前に、いくつかのアラブの部隊がイスラエルとパレスチナに入ってきました。 しかしイスラエルは、一方で侵攻してきたアラブ軍に対して戦い、もう一方で 民族浄化作戦を遂行するのに十分な軍事力を保持していました。
  追放されることをパレスチナ人が拒んだ場合にはいつでも、虐殺、レイプ、略奪、投獄が伴いましたが、実際に数千ものパレスチナ人が投獄され、さらに強制労働収容所へと送り込まれ、一九四九年の中頃まで留め置かれることになりました。


【語り】 イラン・パペ(Ilan Pappé)
1954年、イスラエル生まれ。エクセター大学(=イギリス)歴史学部教 授。第一次中東戦争(1948年)に関する論文で、1984年オックスフォー ド大学博士号を取得。帰国後、ハイファ大学政治学科講師に就任し、シ オニズムを批判する立場からの研究を積み重ねる。その研究に対するイスラエルの学界からの反発と、パレスチナ人学生の論文評価をめぐる学内での対立により、ハイファ大学を追放されかかるが、国際的な非難の声を受けて処分を覆す。反シオニスト左派のオルタナティブ・インフォ メーション・センターが発行する英字雑誌 News from Within にも頻繁 に寄稿・発言するなどの活動も精力的に行なっている。

イラン・パペ、パレスチナを語る 定価2800円+税 ISBN9784806805830 C0031

 


「お江戸ののれん」の著者、鈴木進吾さんがさる10月10日に、お亡くなりになりました。つつしんでご冥福をお祈りいたします。
本が完成する直前のことでした。
今年の夏から、体調を崩され、病院でゲラを見ていただくという状態で、最後の校正が終わり、本が出来上がるのを待つばかりのことでした。あと、一週間早ければ、病床に本が届けられたのにと思うと、返す返すも悔しさがつのります。
鈴木進吾さんは、「お江戸ののれん」が出版されたら、掲載したお店に、「お礼かたがた、挨拶にいくんだ」、「今回収録できなかったお店もたくさんあるので、第二弾を出そう」と制作途中に、語られていました。
またお店巡りは、「だんなや女将さんと話が出来るのが楽しみなんだ」「おもいがけないお話が聞ける」ということでした。まだまだやりたいことがいっぱいあった鈴木進吾さんでした。