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『香港の反乱2019 抵抗運動と中国のゆくえ』訳注 3

『香港の反乱2019 抵抗運動と中国のゆくえ』訳注 3

 

第一章
<1> 両足で歩く(兩條腿走路) 1950代後半からの「社会主義建設」の時期以降に用いられたことばで、中央と地方、工業と農業、中国の経験と海外の経験などをバランスよく考慮して実行することを指した。著者は、かつては「社会主義建設」のために使われたこの用語を、皮肉を込めてここで使っているのだろう。
<2> 基本法第二三条には、以下のように規定されている。
「香港特別行政区は国に対する謀反、国家を分裂させる行為、反乱を扇動する行為、中央人民政府の転覆、国家機密窃取のいかなる行為も禁止し、外国の政治組織・団体が香港特別行政区内で政治活動を行うことを禁止し、香港特別行政区の政治組織・団体が外国の政治組織・団体と関係を持つことを禁止する法律を自ら制定しなければならない。」
<3> 行政長官と立法会における普通選挙 香港基本法四五条では、行政長官の選出方法について、「最終的には広汎な代表性をもつ指名委員会が民主的手続きによって指名し、普通選挙で選出するのが目標である」と書かれているだけであり、現行の間接選挙から普通選挙への移行については、付属文書一で「2007年以降、各期行政長官の選出方法を修正する必要が出た場合、立法会全体議員の三分の二の賛成と行政長官の同意が必要であり、同時に全国人民代表大会常務委員会に報告して批准を受けなければならない」と規定されているだけである。普通選挙を実施するかどうかの判断は中国全人代常務委員会にゆだねられており、2004年4月に全人代常務委員会は、三年後の07年の行政長官選挙においては、香港における民主選挙の歴史が浅く、世論のコンセンサスもまとまらないことなどを理由に普通選挙は実施しないという判断を下した。
その後、2007年12月には、5年後の2012年の行政長官選挙と立法会選挙では普通選挙は実施しないが、10年後の2017年の行政長官では普通選挙を実施「できる」、立法会については行政長官の普通選挙が実施されたのちに立法会の全議席を普通選挙で選出「できる」とした。そして2014年8月31日の全人代常務委員会の決定(いわゆる「八三一決定」)は、2017年の行政長官選挙から普通選挙を実施することはできるが、立候者は選挙委員会を改組した候補者指名委員会の過半数の推薦を得た二ないし三人に限られるとした。候補者指名委員会は政府あるいは業界関係者が多数を占めることが予想されたことから、民主派候補者を事実上締め出すことになるこの「八三一決定」に民主派や市民らが反発して雨傘運動に発展した。本章訳注<10>参照。2019年の抵抗運動を受けて、中国全人代常務委委員会は2021年3月末にで香港選挙制度改革を決定する。選挙委員を現在の1200人から1500人に増員、立法会の定数を現在の70議席から90議席に増員し、選挙委員会選出枠の議席を新設、立候補者資格審査委員会を新設するなどが骨子。これを受けて林鄭月娥は21年5月末までに香港議会で可決し、6月中に有権者登録を終え、9月に選挙委員会の選挙を実施し、12月に立法会選挙、22年3月に行政長官選挙を実施したいと明言。立法会改革の具体案は、直接選挙枠は現在の35から20議席に削減、民主派が地滑り的勝利を果たした区議会枠6議席は廃止して全人代等の香港代表に充てられるなど含め職能枠は30議席に削減(民主派の強かった分野の職能枠が統廃合される)、そして新たに40議席の選挙委委員会枠が設けられる。選挙委員会は1500人に増員され、現在民主派が多数を占めている区議会枠(定数117)は廃止され、地域の防犯・消防委員1395人の互選で選ばれる156人の枠に組み替えられる。現在の防犯消防委委員には 19年11月の区議会選挙で落選した体制派の元区議が多数任命されている。また中国国内の香港人組織も選挙委員会に400以上の議席を持つことになると言われており、選挙委員会は従来以上に中国政府の影響力が大きくなる。
<4> 自由党(Liberal Party) 返還前の1991年の立法会選挙で、定数60のうち18議席で普通選挙が実施され、民主派が普通選挙枠の17議席(他に1議席を得て、計18議席)を獲得したことに警戒した香港政府当局が土着の資本家を支援して作らせた政党。1993年の結党以降、返還後の2004年立法会選挙で10議席と躍進したことを除くと、普通選挙枠での議席はほとんどなく、職能選挙枠のみの議席を維持してきた。つまり大衆的基盤のない政党である。自由放任の経済政策を掲げており、最低賃金法や団体交渉法、労働時間規制には反対してきた。いわゆる体制派(建制派)に含まれ、返還以降は中国政府との関係改善に努めてきたが、国家安全維持法など、治安関連法をめぐっては中国政府とは一線を画すこともある。
<5> 社会民主連線 2003年の国家安全条例反対の50万人デモの勢いを受けて、従来の民主党などの穏健路線に飽き足らない左右のポピュリスト政治運動のアマルガム(合金)として2006年10月に結成。他の穏健民主派への対抗アクションや直接選挙区当選議員による辞任・補選を通じた事実上の「普通選挙を求める住民有権者投票」(2010年5月)、党内の極右派ポピュリスト議員と三合会(香港マフィア)とのつながりなど、世論だけでなく民主派運動内部でも物議をかもしてきた。スキャンダルの多くは創設時の代表である、黄毓民(メディアの辛口コメンテーター、2008年立法議員に当選、普羅政治學苑Proletariat Political Institute主宰)ら極右派ポピュリストらによるもの。黄毓民ら極右派ポピュリストは、他の民主派政党への対抗行動に不満を持つ党内左派からの批判を受け、2011年に分裂して他の政治潮流と政党「人民力量」を結成した(黄毓民ら極右派は2013年には人民力量からも分裂し、2017年4月には政界からの引退を表明した)。現在は、創設メンバーの一人で、かつて革馬盟(革命的マルクス主義者同盟)のメンバーだった梁國雄(2004年から立法議員。16年まで連続四回連続当選するも、議員宣誓の不備を理由に失職)ら急進左派や保釣運動(釣魚台[=尖閣諸島]防衛運動)メンバーらに加えて、若手活動家らが参加するリベラル左派的性格を持つ政党になっている。
<6> 皇后埠頭防衛キャンペーン 長年にわたって九龍半島の尖沙咀と香港島の中環をつなぐ庶民の「足」となってきたスター・フェリーの発着埠頭の移設にともなう取り壊しに対して、文化的・歴史的な価値があるとして保存を訴えた運動。皇后埠頭(クイーンズピア)は香港島側の埠頭である。20〜30代の青年が結成した「本土行動」(Land Justice League)が中心になって、埠頭の運用が停止された2006年末から07年7月末まで座り込み・デモ・ハンストなど一連の運動が続いた。若い世代における「本土意識」を社会的に可視化した。特筆すべきは現在の右翼本土派と違い、中国人に対する排外主義的な主張は全く見られないことである。むしろ資本主義的開発主義に対する反発が主にあったといえるだろう。この運動に参加した青年たちの多くが、2008年暮れから始まる高速鉄道建設に伴う強制移転に反対する石崗菜園村の運動にかかわっていく。これらの運動に参加してきた朱凱迪は、2016年に運動を基盤として新界西地区から立候補し、最高得票数で立法議員に当選する(2020年9月末に議員辞職辞任、21年1月に国安法違反容疑で逮捕・拘留中。日本語版序文訳注<4>参照)。
<7> 高速鉄道プロジェクト 中国とのあいだにある新界地区の石崗地区にある菜園村が、中国・広州から深圳を経由して香港の九龍中心部までの高速鉄道の緊急避難駅予定地になったことから、2008年末に突然「二年以内に移転する」よう告げられた地元住民らとその支援者らが反対運動を展開した。立ち退きの対象となった住民らの多くは、英植民地時代からの「原居民」(中国南部の家父長的宗族社会で、英植民地政府から地域統治の特権を与えられてきた。本章訳注<26>も参照のこと)ではなく、1950年代以降に中国本土からやってきた移民とその子どもたちなので、土地の所有権などがなかった。反対運動の支援に入った青年たちは、前述の皇后埠頭(クイーンズピア)保存運動からの青年を含む80年代生まれ世代が中心。デモ、署名、立法会包囲、「苦行」(一定歩数を進んでは跪いて訴えるパフォーマンス)などさまざまな活動にとりくみ、高速鉄道建設がハイクラスや利権団体、政治家など既得権益者らの利益にしかならないこと、巨額の建設費用を社会福祉などに回すべきだと社会的に訴えた。ドキュメント映画『鐵怒沿線』三部作などで映像化されている。その後、住民らは集団で近隣への新規開拓を条件に移転に応じた。
参考確認資料https://theinitium.com/article/20160609-hongkong-choiyuenvillage/
<8> 2012年の抗議行動 2007年6月末に香港を訪れた胡錦涛国家主席は、香港における青少年の国民教育の強化および中国本土との交流に言及した。再任された曾蔭權・行政長官は、その3か月後の10月の施政方針演説で「道徳と国民教育」を独立した教科として新設する方針を明らかにする。以降、毎年の施政方針演説で「道徳と国民教育」に言及し、2012年に小学校、13年に中学校で同教科の実施を計画した(香港の中学は中高一貫なので計12年間)。2011年5月に教科の指導手引き案が公表され、パブリックコメントが募集される(集まったコメントはいまだ非公開)。同月、「洗脳教育反対」を掲げて中高生の組織「学民思潮」が結成され、反対運動を展開した。2012年7月に行政長官に就任した梁振英が、政府のシンクタンクが作った同教科の手引きを全学校に配布したことで、保護者組織や教職員組合、学民思潮や学聯など20以上の社会組織が反対連合「民間反對國民教育科大聯盟」を結成し、10万人規模のデモ、署名、ハンストなどを展開した。新学期直前の9月7日、梁振英はAPEC(ロシア・ウラジオストック)への参加を急遽中止し、翌日に同教科導入の延期を発表した。運動をけん引した学民思潮や経過については、『言論の不自由 香港、そしてグローバル民主主義にいま何が起こっているのか』(2020年8月、ジョシュア・ウォン他著、中里京子訳、河出書房新社)に詳しい。
<9>「広東語を守れ運動」と2010年7月25日の抗議行動  広東語は中国語の方言の一つで、広東省や広西省、香港、マカオを中心に三千万人以上が日常的に使う言語。5か月後にアジア競技大会を控えた2010年6月、広東省の省都広州市の政治協商会議が、広州市営テレビで標準語(普通話)の番組を増やすべきかどうかのウェブアンケートを実施した。回答者の8割が反対した。7月、広州市協商会議が市政府に対して、「アジア競技大会に向けて」広州テレビ局の主要チャンネルを広東語から普通話に変更することなどを含む提案を正式におこなったことで、反対世論が沸騰した。地元紙も地域の小学校で広東語が禁止されるケースが存在していることを報じるなど、「広東語を守れ」の世論が拡大。7月25日には市民らを中心に二千人が集まって広東語の保護を訴えた。広東省および広州市当局も「広東語を廃止しようという意図はない」と反対世論の鎮静化に追われた。一週間後の八月一日にも広州市内で千人規模のデモがおこなわれた。香港でも数百名の連帯デモがおこなわれ、中国本土からも参加者があった。
<10> 八三一決定 2007年の行政長官選挙の選出方法についての全人代常務委員会の決定文書で「2017年には行政長官を普通選挙で選出することができる」と明記した。2013年3月から香港で盛り上がったオキュパイ・セントラル運動が、翌14年7月に普通選挙を求めて金融街のセントラル(中環)地区をオキュパイすると宣言し、大衆的な規模で真剣に議論を始めた(訳注<13>参照)。
中国政府の香港代表部は「2017年の普通選挙は必ず実施する」「行政長官は愛国愛香港の人間でなければならない」「候補者指名委員会が長官選挙の候補者を指名することは基本法で明記されていることから、検討すべきは指名に関する民主的過程だけである」と表明。香港政府は2013年12月から5カ月の諮問機関を設け、指名委員会の構成、候補者決定の詳細や2016年立法会選挙における細部について広く諮問した。民主派は有権者1%の推薦、得票率5%以上の政党などが候補者を擁立できるという「市民候補」を提起した。
2014年に入り、香港政府の選挙改革検討三人委員会のメンバーら(林鄭月娥・現行政長官も一人)が「基本法に定められた実現可能な漸進的方策を提起すべき」「民主派の『市民候補』案は基本法四四条に記載されている指名委員会の権限を削減するもの」などと表明。3月の中国全人代でも委員長(議長)の張徳江は「普通選挙は西側のものをそのまま採用することはできない」と釘を刺した。諮問期限の5月初めまでに、約12万4,700件の意見が寄せられた。7月15日に香港政府が発表した諮問結果報告書で「『愛国愛香港の行政長官』、『基本法の規定に合致すること』、『候補者指名の権限は指名委員会にある』という意見が主流を占める」と報告し、民主派の意見である「市民候補」は「一部の意見として」と表現するにとどめ、全人代常務委員会に対して報告を提出した。
8月31日、全人代常務委員会は「指名委員会の選出は従来の選挙委員会を踏襲する」、「指名委員会の過半数の推薦を受けたものから候補者を二〜三名選出する」「その二〜三名の候補者から全有権者による普通選挙を実施する」という決定を下した。これによって1,200名の推薦委員会は親中派や産業界の有力者が多数を占めることになり、従来は選挙委員の八分の一の推薦で候補者になれたので民主派も立候補できたが(2007年、12年ともに民主派候補がいた)、この「八三一決定」では民主派の立候補はほぼ不可能となった。そのため、親中派の候補者二〜三人から選出するだけの「普通選挙」にしかならないという反発が広がり、9月からの学生ストやオキュパイ運動を引き起こすことになった。雨傘運動は敗北したが、2015年6月18日の香港立法会で政府案が否決され、2012年の選挙方式が17年にも引き続き適用されることになった(親中派が欠席し、民主派が多数の議会で否決。第二章訳注<1>参照)。
<11> 香港專上學生聯會 香港の大学・大専の学生会の連合組織。1958年に四つの大学の学生会で結成された。中国共産党系の学生活動家などがイニシアチブを握ってきたが、1980年代に入り、中国や台湾でも民主化の動きがはじまると民主化支援への立場に転換していった。80年代の中国の開放政策もあり、香港返還を巡る中英交渉のさいにも、中国の趙紫陽首相に書簡を送り「民主返還」の立場を伝える。1989年民主化運動では、香港で連帯集会やデモを開催し、代表が北京で政府への申し入れや天安門広場でのハンストにも参加した。返還後も「民主派」として六・四天安門事件追悼集会や七・一民主化デモの主催団体の一つとして活躍。2014年雨傘運動では、学民思潮とともに真の普通選挙を主張して、7月のオキュパイ予行演習や9月学生ストを主導し、オキュパイ・セントラル運動の急進化を促した。
しかし、雨傘運動敗北の責任を主に右翼本土派から攻撃され続け、翌15年には香港大学、香港浸會大学、香港城市大学、香港理工大学の四つの学生会が脱退し、香港中文大学、嶺南大学、香港樹仁大学、香港科技大学の四大学の学生会で構成されている。2015年の六四追悼集会では学聯として初めて不参加、16年には七・一デモを主催してきた民間人権陣線(本章訳注<25>参照)からも脱退した。
<12> 学民思潮 道徳・国民教育の授業化にむけて、香港政府は学校関係者や保護者の団体には意見を求めたが、当事者である学生たちには特に意見を求めなかったことから、政府の方針に反対する中高生(香港は中高一貫)らが2011年5月に結成した団体。教職員組合や保護者の組織とともに「民間反対国民教育科大聯盟」を結成して、デモ、政府庁舎包囲行動、ハンスト、スタンディングなど反対運動をけん引し、同年9月に授業化を断念させた。黄之鋒(ジョシュア・ウォン)は結成呼びかけ人、林朗彦(アイヴァン・ラム)、周庭(アグネス・チョウ)らがメンバー。2017年行政長官選挙と2016年立法会選挙の民主化推進でも、2013年6月に全有権者に選挙権、被選挙権を付与する案を提起した。2014年4月からのオキュパイ・セントラル運動では学聯とともにもっともラディカルな選挙制度改革案を打ち出し、それに続く9月からの雨傘運動でも運動をけん引した。六四天安門事件記念集会や七一民主化デモにも参加。個別メンバーは新界地区の巨大開発事業に反対する地域闘争にも参加し、立法会内で座り込み闘争などをおこなった。2016年3月に解散し、黄や周ら一部のメンバーは、嶺南大学の学生で当時の学聯書記長だった羅冠聡(ネイサン・ロー)らと政党「衆志/デモシスト」を結成して立法会選挙への立候補などに取り組んだ。黄を中心とした一連の動きは黄の著書『言論の不自由 香港、そしてグローバル民主主義にいま何が起こっているのか』(河出書房新社、2020年8月)に詳しい。
<13> 愛と平和のオキュパイ・セントラル(讓愛與和平佔領中環 Occupy Central with Love and Peace) 2016年の立法会選挙と17年の行政長官選挙で普通選挙の実施を求めるために、2013年3月から呼びかけられた市民的不服従運動。香港大学助教授の戴耀廷が同年1月、地元紙「信報」に投稿した「公民抗命的最大殺傷力武器」(市民的不服従という最大の殺傷力を持った武器)で、金融街の中環(セントラル)地区を非暴力の座り込みで占拠(オキュパイ)することで普通選挙を実現しようと呼びかけた。3月には香港中文大学助教授の陳健民と著名なプロテスタント牧師・朱耀明の三人(オキュパイ・トリオ)がマニフェスト(信念書)を公表し、誓約書への署名、普通選挙案の大衆的議論と確定、そしてそれを迫るための一万人規模の不服従行動(オキュパイ)という一連のとりくみへの参加を呼びかけた。6月にマニフェストに賛同する700人の活動家らが今後の計画を議論。2014年元旦には、「行政長官選挙の候補者を選ぶ推薦委員会の代表性を高める」「候補者の選別をしない」「一般立候補を認める」という三点についてのウェブ投票を実施した(6万2,000人が投票、賛成が圧倒的多数)。また、2013年末から14年初めにかけて、各分野・団体など20以上もの民主的議論を組織して市民的不服従の世論形成に力を入れた。2014年3月に二回目の全体討論会が実施され(参加者600人)、一票の権利に差別のない選挙権と被選挙権、自由権規約に則った選挙案などが打ち出され、非暴力トレーニングなども実施した。5月の三回目の全体討論会では15通りの普通選挙案について、不服従行動に参加を宣誓した2,500人余りによる予備投票が行われ、もっともラディカルな学聯・学民思潮の案を筆頭にラディカルな上位三案が選ばれた。6月下旬には、この三案の市民投票が実施され、79万人が投票。学聯・学民思潮案は30万票で次点となり、泛民の連合組織「真普選聯盟」の案が33万票で選ばれた。同案は「有権者1%の推薦」「直近の選挙で5%以上の得票率の政党の推薦」「指名委員会の推薦」のいずれによっても候補者を擁立できるとする案だった。
中央政府の強行姿勢を前に、実際のオキュパイに踏み込もうとしないオキュパイ・トリオに業を煮やした学生らを中心に、7月1日の民主化デモの解散地点となった中環でオキュパイの予行演習を強行し、筆者を含む511人が逮捕された(オキュパイ・トリオは反対して参加せず)。運動のイニシアチブはオキュパイ・トリオや泛民からよりラディカルな青年・社会運動に移行した。9月の学生ストから立法会包囲闘争を経て、オキュパイ・トリオが想定していた秩序ある非暴力の市民的不服従のオキュパイは、警察の催涙弾を号砲とした二か月以上にも及ぶメインストリートを完全占拠した「雨傘運動」に発展し、当初の想定を超えた形で実施されることになった。戴耀廷は20年6月に実施した本土派や泛民らによる統一候補選出の予備選挙を画策したことが国家安全維持法違反に問われ、21年1月に逮捕、2月末に起訴され、3月現在も拘留中。
<14> 香港立法会 香港の最上位議会。定数70で4年ごとに改選される。35議席は五地域の中選挙区制、35議席は29の職能別の選挙区から選出される。直近の2016年選挙では建制派(体制派)が40議席(地域選挙区16、職能別選挙区24)、反対派(民主派・本土派など)が29議席(地域選挙区19、職能別選挙区10)、中間派1の勢力図。職能別選挙区は英植民地時代に導入された統治制度で、地域選挙区とは異なりアッパークラスや体制派の候補者に有利に作用する。民主派の「普通選挙」という要求は行政長官の直接選挙のほかに、この職能別選挙区を廃止して全ての議席を一人一票の普通選挙=地域選挙区から選出することも含まれている。2016年9月の立法会選挙の結果、反対派(民主派、本土派など)の構成は、民主党7、公民党6の他は1〜2議席の10近い政党・政治団体が乱立。香港政府は2020年9月に予定されていた立法会選挙を、コロナを理由に一年延長。11月に全人代常務委員会が4人の公民党議員らの議員資格はく奪したことで、15人の民主派・本土派議員も抗議して辞職した。本章訳注<21>参照。なお、選挙制度改革については、本章訳注<3>後半も参照。
<15> 香港職工會聯盟(Hong Kong Confederation of Trade Unions、HKCTU) 1990年に結成し、現在公称95組合19万人を組織する香港第二の労組ナショナルセンター(香港の労働組合の状況については本章訳注<29>を参照のこと)。民主派に分類され、最低賃金法の成立(2011年5月1日施行)、団体交渉権の立法化(97年の香港返還直前に制定されるが返還直後に議会が解散させられ、親中派で固めた臨時立法議会で同法は凍結=事実上の廃止されたまま現在に至っている)など、香港における労働者の権利向上にとりくむとともに、普通選挙の導入などの民主化運動や中国国内の民主化、労働人権にもとりくむ。2005年12月のWTO香港会合に対する反対運動でも活動の中心を担った。国際労働機関(ILO)では、中国政府が官製労組しか認めず団結権を侵害していることを指摘し続けてきた。支聯會の代表で長年工盟の委員長を務めてきた李卓人やキャセイ労組出身で工盟委員長を務めた呉敏兒など議会活動にも積極的に取り組んだ。第二章訳注<28>参照。現在二人とも国安法違反の容疑で収監中である。
<16> 太古飲料(香港)職工總會工會(Swire Beverages (Hong Kong) Employees General Union) キャセイ航空などを所有する国際企業グループのスワイヤー・グループ傘下の飲料水企業(コカ・コーラとの共同出資)で働く配送員の労働組合。1983年に結成し、HKCTUの加盟組合になっている。団体交渉権を要求したことで会社が2013年に業務委託化を提案したが、それを阻止するストライキを打ち、翌年に団体交渉権を獲得した。
<17> 香港教育專業人員協會(Hong Kong Professional Teachers' Union) 約9万8,000人を擁する香港最大の教員組合(単組としても最大)で民主派ナショナルセンターの香港職工会聯盟(HKCTU)に加盟している。組合員及びその家族向けに割引価格で経営するスーパーや旅行社などの収益などを原資として民主化運動や教育事業への支援を行っている。
1971年に、教員の俸給表を公務員から切り離して事実上の賃下げを行う政府案がだされ、それに反対する過程で1973年にストライキが打たれる中で結成された。このストを指導した司徒華(2011年没)が初代委員長を務めた(1990年まで)。1985年の立法局選挙では、職能別選挙区(教育界)から立候補した司徒華が当選し、以後現在まで教育界の1議席を維持しつづけている。司徒華は中国共産党ともつながりを持ち、1950年代から教員を務めてきた。1973年の教員ストに反対した共産党組織の組織的指導から徐々に距離を置くようになった。1985年には基本法起草委員会の23人の香港人委員の一人に就任したが、89年北京の春への弾圧(六四天安門事件)で同委員を辞任し、天安門事件の名誉回復と中国民主化運動を支援する「香港市民支援愛國民主運動聯合會」(支聯會)の主席として活動した。1990年には香港民主同盟を結成し、香港職工會聯盟の結成にも尽力した。1991年からは、導入された地域直接選挙区に鞍替えして当選し、94年には中国政府ともパイプのあった民主党派「匯點」と合同して民主党を結成して、2004年まで議員を務めた。本書の著者の區龍宇は1986年の反原発運動や中国民主化支援、香港返還の闘争で司徒華の路線と対立した回想を残している。
・卅年前的懦弱 卅年後的苦果——1986反核運動(30年前の惰弱による30年後の苦境、2016年12月10日)https://bit.ly/36rKdmq
・司徒華領導下的支聯會(司徒華が指導した支聯會、2016年6月8日)https://bit.ly/3qVtGk0
・維園要去,支聯要改,黔驢要入欄(天安門追悼集会に参加すべし、支聯会は改革すべし、黔驢は柵に入れておくべき、2015年6月4日、『香港雨傘運動 プロレタリア民主派の政治論評集』に収録)https://bit.ly/36npEr4
<18> 香港專上學生聯會の街頭フォーラムを妨害 2014年10月12日に雨傘運動による街頭オキュパイが行われていた金鐘、旺角、銅鑼湾で学聯が呼びかけた街頭討論集会に対して、当時嶺南大学中文学部の副教授だった陳雲がfacebookで妨害行動を呼びかけた。「今日午後3時の旺角が學聯の命日となる。共産主義匪賊スパイのカス野郎で全員消滅に値する學聯の売港賊(香港売国奴)に、地獄の門は開かれた。諸君らは警察による強制排除に対峙するような態度で、學聯による旺角での大会に対処せよ。この大会が開催されてしまったら、警察が血の鎮圧に乗り出してくるだろう。」陳雲の呼びかけに応えた右翼本土派ら数十人が旺角の學聯テントを取り囲んで集会をやめるよう攻撃した。
<19> 大台 集会やコンサートのメイン・ステージや舞台を意味し、運動シーンにおいては「指導者」、「指導部」、「リーダー」とほぼ同義語。香港では「リーダーのいない運動」は往々にして「リーダーを攻撃する運動」となり、民主的で集団的な議論で方針を決めるのではなく、右翼本土派の政治ゴロらの言説を実体以上に大きな影響力を持たせることになった。
<20> 黄色陣営と青色陣営 民主派・反政府派・デモ支持派は黄色、体制派・政府・警察支持派は藍(青)色がシンボルカラーになっている。実力行使を厭わない、あるいはそれを支持する層は「深黄」(ディープ・イエロー)、非暴力のデモ支持層は「浅黄」(ライト・イエロー)とも呼ばれる。デモ支持派のショップは「黄店」、政府支持のショップは「藍店」と呼ばれる。中国政府系の企業は「紅色企業」(赤い企業)と呼ばれる。
<21> 議員資格剥奪 この間の議員資格剥奪のケースは、2016年の議員宣誓に関するもの、2018年の補選における立候補資格に関するもの、さらに2020年11月の4人の現職議員の資格はく奪に関するものの三つがある。
【2016年議員宣誓事件】
立法会選挙で当選した議員は、香港基本法第104条「香港特別行政区行政長官、主要官員、行政会議の構成員、立法界議員、各級裁判所の裁判官および司法人員は就任する際、法に依って中華人民共和国香港特別行政区基本法を擁護し、中華人民共和国香港特別行政区に忠誠を尽すことを宣誓しなければならない」の規定によって、議員宣誓をするとされている。その定型文は「中華人民共和国香港特別行政区基本法を擁護し、中華人民共和国香港特別行政区に忠誠をつくし、職責を全うし、法令を遵守し、清廉潔白に香港特別行政区に奉仕します」というものだが、2016年9月の立法会選挙で当選した議員らが10月12日の議会初日の最初に行う議員宣誓で、宣誓の定型文に反発した独立派・民主自決派の議員らが宣誓文を批判的にアレンジしたり、パフォーマンスを入れたりした。このことを「基本法を侮辱した」などという口実にして、梁振英・行政長官が裁判所に訴え、2人の独立派議員(独立派政党「青年新政」の梁頌恆と游蕙禎)と4人の民主派議員(姚松炎、劉小麗、羅冠聡、梁國雄)の議員資格をはく奪した。
6人の議員の資格はく奪の理由とされた「議員宣誓」は、次のようなものだった。香港民族の利益に忠誠を誓う等の文言を盛り込み、「Hong kong is not China」のバナーを掲げ、英語での宣誓でChinaを「シナ」と発音した(梁頌恆、游蕙禎)、真の普通選挙を実現するなどの文言を盛り込んだ(姚松炎)、一文字を五秒以上かけて読むことで文言を無意味化させた(劉小麗)、「市民的不服従」「梁振英行政長官は辞任せよ」「真の普通選挙の実現」「中国政府の許可などいらない」と叫び、黄色い傘と基本法と書かれたボードを破るなどのパフォーマンスをおこなった(梁國雄)。こうした「議員宣誓」について、全国人民代表大会常務委員会は、11月7日に全会一致の155票の賛成で「宣誓拒否は資格喪失になる」「不誠実な宣誓は拒否と同じであり公職を失う」「この解釈に沿わない宣誓も無効となり、再宣誓はおこなえない」という基本法104条の解釈を決定した。香港政府は、基本法104条と宣言・声明条例二一条(「遵守しなかった場合の結果:本部が要求する宣誓を行うよう正式に招かれたにもかかわらず、宣誓を拒否し、または怠った場合、(a)既に宣誓を行っている場合はその職を明け渡さなければならず、(b)宣誓を行わなかった場合は、宣誓を行う資格を失うものとする。」)に違反するとして、梁頌恆、游蕙禎について「宣誓無効」の裁判を起こし、11月15日に高裁で「梁・游両者の宣誓は無効」の判決が出された。両者は控訴院(高裁のなかの控訴法廷)したが、11月30日に原判決を維持する判断が下された。その後、最高裁に控訴したが17年8月25日に不受理の決定が下されたことで議員資格喪失の判決が確定した。また、他の4人(梁國雄、姚松炎、劉小麗、羅冠聡)の議員宣誓についても、香港政府は「基本法(および全人代解釈)に反する」として議員資格の抹消を求める裁判を起こした。2017年3月1〜3日に集中審議がおこなわれ、7月14日には4人の議員資格を宣誓当日の16年10月12日にさかのぼってはく奪する決定が下された。その後、梁國雄と劉小麗は資格回復を求めて上告。劉は18年5月末に上告を取り下げた。梁は19年2月に控訴院で敗訴した後、最高裁に提訴している
【2018年補選立候補資格】
空席となった6議席のうち4つの選挙区(3地方選挙区と1職能別選挙区)で2018年3月に補選が行われた(残り2選挙区は資格はく奪の無効を訴える司法手続きが終わらず、日程が後にずれた)。民主派は地方選挙区で2議席を確保したが(姚松炎が落選)、当選した區諾軒と范國威の2人は、19年9月に補選における候補者資格の認定の不備を理由に当選を取り消された。
2018年3月の補選では、選挙管理委員会がデモシストの周庭と本土派の劉頴匡の立候補を認めず、周と劉がそれぞれ提訴していた。19年9月に高裁で周と劉の訴えが認められ、それによって18年3月の補選で周庭と劉頴匡が当初立候補する予定だった選挙区から立候補して当選した區諾軒と范國威の当選そのものが「不適切な選挙の実施」によるものだとして当選を取り消された(區諾軒と范國威は最高裁に上告したが、同年12月に訴えは退けられた)。
【2020年11月の議員資格はく奪】
立法会の専門委員会の議長選出でフィリバスター(議事引き延ばし)を行った穏健民主派の郭榮鏗(公民党・弁護士職能選挙区)、楊岳橋(公民党)、郭家麒(同)、梁繼昌(会計士職能選挙区)の4議員の資格を全人代常務委員会が一方的にはく奪した事件。全人代の報道官は、4議員が香港独立を支持し、基本法に抵触したことなどが理由だとしており、今後おこなわれる選挙の立候補資格にも同理由を適用すると述べた。これに抗議して他の民主派・本土派・急進民主派の議員らも全員辞職を宣言した(なお反対派だが、排外主義の陳雲らの思想をバックボーンにしている「熱血公民」の議員一人は辞職せず)。
本書の著者は11月12日のfacebookの書き込みで「(抗議の)総辞職という戦術は誤りである。全体主義と大粛清のもとでは、反対派はパブリックな場面での公然活動を継続するとともに、水面下においては組織化を強化するという二正面作戦をさらに強化する必要がある。ゆえに今回こそ『各自それぞれ頂上を目指し』[2019年の運動のスローガン]、議会を去る者と留まる者がそれぞれ活動を行いながら、同盟関係を維持し続けることが必要なのである。香港の民主化運動は、全体主義に抵抗する海外の社会運動の経験から学ぶ機会が少なかったがゆえに、今回のような低次元の誤りを犯してしまった」と厳しく指摘している。
<22> 銅鑼湾書店事件 習近平ら中共指導者の批判やスキャンダルを描いた書籍などを扱っていたインデペンデント書店「銅鑼湾書店」の経営者と店主、株主ら5人が2015年10月から12月にかけて中国当局者によって中国国内、タイ、香港などで拘束され中国・監禁された事件。失踪後、本人らからは「中国にいる」「心配しないで」という連絡が家族らに入っていたが、香港では大きな事件として扱われた。
10月に失踪し、8カ月後の16年5月に香港に戻った銅鑼湾書店の創設者で店長だった林榮基は、香港警察への告発を取り下げたのち、中国当局の恫喝に屈せず拉致監禁の経過を語ったことで事件の真相の一端が明らかになった。林は監禁中の2月に政府系メディアの取材に対して「罪を犯した」ことを認めるとともに、タイで拉致された銅鑼湾書店の株主の一人、桂民海の容疑を裏付ける証言をしていた。その後、2019年4月に台湾に移住、20年3月に台北で銅鑼湾書店を再開している。
銅鑼湾書店の経営者だった李波は、2015年12月30日に香港で中国当局者に拉致・連行。16年2月に政府系メディアの取材を受けて「自分で中国にやってきた」「取り調べに協力している」「英国籍は放棄した」などと答え、ほかの2人(呂波、張志平)と前後して3月中に香港に戻り、香港の警察に出していた告発をすべて取り下げ、一切の説明を拒否した。
2015年10月にタイで拘束され中国に連行された桂民海は、16年1月に中国浙江省寧波市で起訴された。容疑は2003年に桂民海が同市で起こした交通事故で人をひき殺した事件に関連したもの。事件自体は2006年に禁固2年、執行猶予2年の判決が出されていたが、桂は執行猶予期間中に他人のパスポートで国外に移住し、スウェーデン国籍を取得していた。その後、2014年に銅鑼湾書店の経営権を取得。本人の「自供」によると、今回は自らの罪を悔いて自首したという。寧波地裁は桂の執行猶予を取り消し、二年の禁固刑を執行。桂は2017年10月に満期釈放されたが、違法経営という別件の調べが続いていたことから出国できなかった。スウェーデン政府は、桂の病気治療のために領事館員を寧波に派遣して北京まで護送しようとしたが、護送中の列車に乗り込んできた中国の警察に再度逮捕された。容疑は国家機密漏洩、国家安全への危害。2020年1月、寧波裁判所は桂に10年の懲役、5年の政治的権利のはく奪の判決を下した。桂は上告せず、スウェーデン国籍も放棄したとされている。
<23> 正式名称を「二〇一九年逃犯及刑事事宜互相法律協助法例(修訂)條例草案」(逃亡犯及び刑事事件に関する相互法律支援法(改訂)条例案)といい、海外で罪を犯して香港に逃亡した容疑者を引き渡すための「逃亡犯条例」および「刑事事件に関する相互法律支援条例」の適用範囲を広げて、中国・台湾・マカオ当局にも容疑者を引き渡すことができるようにする改正案。「逃亡犯条例」は1997年の返還直前に英植民地政府が制定したが、その際には刑事司法制度や人権状況に懸念があることから対象地域から中国を除外しており、返還後も引き続きこの条例が適用されてきた。修正案が立法会に上程された時点で以下の20カ国(うち19カ国との条約が発効)と犯罪人引渡条約を締結している。オーストラリア、カナダ、チェコ共和国、フィンランド、ドイツ、インド、インドネシア、アイルランド、韓国、マレーシア、オランダ、ニュージーランド、フィリピン、ポルトガル、シンガポール、南アフリカ、スリランカ、イギリス、アメリカ(未発効)、フランス(未発効)。なお2020年7月1日に中国が「香港国家安全維持法」を施行したことにより、カナダ、オーストラリア、イギリス、ニュージーランド、ドイツが相次いで引き渡し条約を凍結している。
法律改正の発端は、2月17日、香港人男性の陳同佳が一緒に台湾を旅行していた香港人女性の潘曉穎を殺害・遺棄し、香港に逃げ帰ってきたあと、事件が発覚したことにある。児童買春以外では香港当局は海外での犯罪を裁くことができず、女性のキャッシュカードを使って現金を引き下ろした行為を窃盗とマネーロンダリングの容疑で陳同佳を3月に逮捕。台湾政府が三度の引き渡しに関する協議を申し出るも、香港政府はそれを無視し、2019年2月13日に突如、法律の改正案を立法会に上程した。陳の裁判自体は、19年4月末に2年5カ月の実刑判決(未決拘留含む)を受けて服役し、2020年10月23日に満期釈放された。
香港政府は20年2月から3月までのあいだにパブリックコメントを募集し3,000件の賛成、1,400件の反対意見が寄せられた。当初、殺人罪のほか経済犯罪を含む46の犯罪が対象になっていたが、3月に中国公安省の元副大臣が、中国で重大な犯罪を犯して香港に逃亡している容疑者300人以上を特定し、香港当局とも協議してきたが引き渡しには至らなかったことを明らかにするなど、脛に傷のある香港財界人らに不安が広がった。香港財界人らの政党である自由党の田北俊名誉主席は「ビジネスマンは国家転覆など企まないので基本法二三条の法制化(国家転覆などを裁く)よりも、今度の法律の方が怖い」などと発言。香港政府は財界の不安に配慮して法案から9つの経済犯罪を除外し、3年以上の懲役刑に限定して4月3日の立法会本会議に修正案を再提案した。その後、立法会で同法案委員会が設置されるが民主派によるフィリバスター(審議引き延ばし)や体制派による強引な第二委員会の設置など6月までの議会内での攻防などは、『香港危機の深層 「逃亡犯条例」改正問題と「一国二制度」のゆくえ』(2019年12月、倉田徹・倉田明子編、東京外国語大学出版会)に収録されている「逃亡犯条例改正問題のいきさつ」に詳しい。法案の審議は6月12日の議会を取り巻いたデモ隊と警官隊の衝突を受けて本会議が中断され、デモの盛り上がりを受けて6月15日には法案の審議そのものを中断、9月4日に法案の凍結を発表した。
<24> 基本法第八条には次のように規定されている。
「香港の従来の法律、すなわちコモンロー、衡平法(エクイティ)、条例、付属立法および慣習法は、本法に抵触するかまたは香港特別行政区の立法機関が改正したものを除いて、保持される。」
<25> 民間人権陣線 略称は「民陣」。40以上の政治団体や社会運動団体から構成される民主化運動のプラットフォーム。国家転覆などを犯罪化する基本法23条の法制化に反対して2002年9月に結成。03年7月1日の民主化デモで50万人を動員して23条法制化を阻止した。その後、毎年7月1日には民主化を求めるデモを主宰してきた。逃亡犯条例改正案が上程されて3月31日に最初にデモを呼びかけたのも民陣。ほぼ毎年、加盟組織による選挙で「呼びかけ人」(代表)を決める。2020年10月以降は、社民連の陳皓桓が呼びかけ人を務めている。
<26> 元朗白シャツ襲撃事件 2019年7月21日に新界地区の元朗地区で、中心地での抗議デモ帰りの住民(黒シャツを着ている場合が多い)に対して、元朗地区の地縁組織のメンバーら数百人が武器を持った白シャツ姿で襲撃した事件。立法議員やメディア関係者らだけでなく一般の通行人も襲撃されて50人近くが負傷した。襲撃は元朗駅構内や車両にまで及んだ。ウェブ中継を見ていた多数の人たちが地元の警察署に通報したが、警察は襲撃者が立ち去ってからしか現場に現れなかった。この事件で逮捕されたのは20年4月の時点でも30人余りで、起訴されたのは7人にすぎず、警察の対応が批判されている。元朗駅での襲撃事件を引き起こしたと言われる組織犯罪シンジケートは、「三合会」と言われる犯罪組織。「三合会」は香港にある複数の犯罪組織の総称で、「14K」、「新義安」、「和勝和」などが有名である。「三合会」については、以下のサイトを参照すること。
https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-49079916
元朗は九龍半島側の中国との境界地域である新界地区にある(新界地区には島嶼部も含まれる)。この新界地区は1898年にイギリスに九九年の期間で租借された地区。香港島は1842年の南京条約でイギリスに割譲、九龍半島は1860年の北京条約で割譲。新界地区には英国が侵略する前から有力氏族が支配しており(原居民と呼ばれる)、英植民地政府は支配強化のために有力氏族ら原居民に一定の政治的・経済的支配権を容認し、原居民らも慣習法に守られ男系にだけ認められた排他的な土地所有の権利や税線面での優遇権利を持っており、その権利は基本法40条にも明記されている。
新界地区には27の郷事委員会が設置されており、村の伝統行事や住民行政などについての意見を取りまとめる。郷事委員会は約700ある村等から選挙で選ばれた村代表が委員を務める。かつては原居民にしか選挙・被選挙権がなかったが、2000年に香港の終審法院(最高裁)が香港人権法案条令と性差別禁止法に抵触するという見解を示し、03年の選挙では原居民の代表と新住民の代表をそれぞれ選出する制度に変更された。たとえば2019年1月の郷事委員会の選挙では、新住民は695村からそれぞれ村代表1人、原居民は603村から789人の代表、それに原居民がいなくなったとされる2つの墟鎮の代表56人(長洲39人、坪洲17人)、計1,540人の代表を選挙で選ぶ。各郷事委員会の主席27人は自動的に当該区の区議会議員になる。新界の行政サービスに関する上位の諮問機関として、郷事委員会の主席と副主席から構成される郷議局がある。郷議局の主席は自動的に立法会の議員になる。
原居民らは伝統的な地縁・血縁を通じて経済的、政治的な権限が保障され、行政組織や警察などとの関係も深いことから、排他的な経済権益組織や闇のネットワークが機能してきた。原居民を中心とする郷事委員会や郷議局は伝統的に政府との関係が強く、「郷事派」と呼ばれる政治勢力を形成してきた。返還後は親中派・保守派の政治勢力となっていることから、元朗の地縁・血縁でつながった排他的な政治・経済組織が2019年7月21日の元朗襲撃事件の中心となったのではないかと言われている。事件の10日ほど前には中聯弁(中国政府の香港代表での機関)の役人が元朗の郷事派に対して「元朗が暴徒に襲われないように愛国愛郷精神を示してほしい」と発破をかけている。
2019年1月に行われた郷事委員会の選挙では、民主派が選挙共闘を組んで立候補するなど民主化は進みつつあるが、郊外住民運動の活動家で立法会議員の朱凱迪が立候補資格を認められなかった事件も発生した。新界の原居民の伝統や風俗については『香港危機の深層』(倉田徹、倉田明子編、東京外国語大学出版会)の「第9章 新界、もう一つの前線」(小栗宏太)に詳しい。
<27> レノン・ウォール(連儂牆) 2019年の抵抗運動では、法案反対や五大要求などのメッセージを書いたポストイットやカード、イラストなどを通路用のトンネルや陸橋にまとめて掲示する取り組みが各地で出現した。2014年の雨傘運動の金鐘オキュパイに隣接した政府本部ビルの屋外階段の壁全体にポストイット(メモ用シール)に書いたメッセージを張り付けたのが最初で、2019年の運動で復活した。もともとは、チェコのプラハにある壁に、1980年にジョン・レノンが殺されたあと、ジョン・レノンの肖像画や彼の歌の歌詞などが描かれるようになり、「ジョン・レノン・ウォール」と呼ばれるようになったことに由来する。この壁は当時の反体制的な若者たちのシンボルとなった2019年7月には、梁凌杰(Marco Leung)を追悼する作品が「ジョン・レノン・ウォール」に描かれた。
<28> テレグラムTelegram スマートフォンなどで利用できるグループメッセージの無料サービス。暗号化や秘匿性の高いシステムをオープン・ソースで提供していることから多くの運動参加者が利用した。通常のディスカッションや宣伝だけでなく、デモ参加者やバックオフィスのメンバーがデモの最中に警察の動きや封鎖線などをいち早く伝えることで、デモ参加者らが機動的な動きを取ることができるなど、運動の動員ツールとしても利用された。
<29> 香港の労働組合 2018年に職工會登記局に登録されている香港の労働組合はナショナルセンターごとに、香港工會聯合會(FTU・親中国系)191組合42万6,919人、港九勞工社團聯會(FLU・体制派)94組合6万0,796人、香港職工會聯盟(HKCTU・民主派)82組合、14万1,783人、港九工団聯合総會(TUC・国民党系)27組合6,028人、独立系458組合。組織率は25%。
香港の労働組合は、結社の自由と労働組合参加の自由が香港基本法27条で明記されており、職工會条例(労組法)で団結権が保障されている。同業種あるいは同雇用主の労働者7人以上で労組結成が可能。争議権は労使関係条令(仲裁調停)、雇用条例(労基法)に記載されているが、団体交渉権は、1997年返還直前の民主派多数の議会で制定されたが、返還直後に民主派を排除した臨時立法会で最初に廃止された。法的保障はなく、力のある組合が個別で団体交渉をおこなっている状態。
組合数は2013年809組合、2014年819組合、2015年821組合、2016年828組合、2017年836組合、2018年846組合、2019年866組合(暫定値)と逓増傾向だったが、2020年5月までに1,076組合に急増し、組合結成の申請件数も2019年6月から2020年5月2日までの期間に4,328件に上った。
その理由はいくつかある。一つには体制派・中立派の労組に組織される職場からの反乱という性格がある。たとえば、公務員労組の多くは運動の側に立ち切れなかったが、2019年8月2日には、それに批判的な若年層の労働者を中心に4万人集会がとりくまれ、それを契機に新公務員工會(Union for New Civil Servants)を結成したり、当初はデモ隊に融和的だった香港MRTが警察の部隊を輸送したり、株主である当局の締め付けなどでデモ隊に厳しい対応をするようになったことなどを契機にして港鐵新動力(Railway Powe)という新組合が結成された。
二つ目の理由はそれとも関連するが、2019年8月5日以外には成功しなった三罷スト(労働者、商店主、学生のストライキ≒ゼネスト)の失敗を受けて、いずれ三罷ストを成功させるためである。上述のように、親中国系、体制派の労組が過半数以上を組織する状況で効果的な三罷ストを行うことは極めて困難であり、また街頭闘争の行き詰まりを受けて、民主化運動の力を職場や地域に浸透させたいという思惑からである。
三つ目の理由は、立法会の労組枠議席(定数三)および行政長官選挙をおこなう選挙委員会(定数1,200)の労組枠(定数60)に影響を及ぼすためである。行政長官の立候補には150以上の選挙委員から推薦を得る必要がある。また、選挙権は選挙委員にあるので、一つでも反体制派の選挙委員が増えることが望ましいということである。労組枠の選挙権を得るには結成一年以上という条件があり、2022年に予定されている行政長官選挙に関与するためには、選挙委員会の選挙(21年末を予定)までに一年以上の活動実績、つまり遅くとも20年下半期までの設立が必要条件となることから、19年後半から労組の設立機運が高まった。
立法会にも同様に労組枠の職能別選挙区があり、定数も他の職能別選挙区は各1に対して、労組枠は定数1となっている。投票権は各労組が1票持っているので、2016年選挙では組合数の多いFTUが2議席、FLUが1議席を確保している。2020年9月に予定されていた立法会選挙では、反体制派の新労組から香港酒店工會(Hong Kong Hotel Employees Union、HKCTU傘下)、香港調酒師工會(Bartenders & Mixologists Union of Hong Kong)、香港資訊科技界工會(Hong Kong Information Technology Workers’ Union)の若い指導者3人が労組枠で立候補する予定だった。当然FTUやFLUも新労組の組織化をおこなっていると予想されるので当選の見込みは厳しいが、批判票を目に見える形で組織化することを優先したと考えられる。労組枠ではないが香港教育專業人員協會(本章訳注17参照)や香港社會工作者總工會(Hong Kong Social Workers General Union、HKCTU傘下)、公立病院の職員らが結成した医管局員工陣線(本章訳注<30>参照)などもそれぞれの職能別選挙区から立候補する予定だった。民主派の総意としては、この職能別選挙区の廃止=全面的な普通選挙の実施を求めるという立場でもある。
なお、伝統的な民主派として毎回立法会選挙に候補者を擁立してきた職工會聯盟(HKCTU)も、呉敏兒委員長が2020年9月の立法会選挙に地域選挙区(新界西)から立候補する予定で、同年7月に民主派・本土派などの候補予定者でおこなわれた予備選挙に参加したが、自決派や本土派と呼ばれる候補者の勢いに圧され、8人中6位となったことで立候補を辞退した(立法会選挙は新型コロナウイルスを理由に一年延期された)。呉敏兒委員長は予備選立候補が国家安全維持法に違反したとして21年1月に逮捕された53人の泛民・本土派候補らの一人で、そのうち呉委員長を含む47人が起訴され、呉委員長を含む44人が21年3月現在も拘留中。
<30> 醫管局員工陣線(Hospital Authority Employees Alliance、HAEA) 43の公立病院などを統括する医院管理局に所属する労働者が2019年11月末に結成した労働組合。約8万人の職員(医師6,500人、看護師2万5,000人など)のうち8,000人を組織する。反送中デモの負傷者などを治療する公立病院ではたびたび看護師らの連帯スタンディングが取り組まれていた。コロナが拡大した2月、中国との往来を停止することや十分な人員や医療資源の供給を要求して2月3日から7日までストライキをおこなった。委員長の余慧明は20年6月の予備選挙に立候補したことが国家安全維持法違反に問われ、21年1月に逮捕、2月末に起訴され、21年3月現在も拘留中。
<31> 黄色経済圏(イエローエコノミーサークル) 「黄色い店」(黄店)と呼ばれる、反送中運動や民主派を支援するレストランやショップを利用することを呼びかけたとりくみ。シンボルカラーの黄色は、2014年の雨傘運動の傘の色が由来とも言われる。「普通話(中国本土の標準語)を話すお客さんお断り」という張り紙が張られた「黄店」もあり、物議をかもした。
 


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