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香港の反乱2019 抵抗運動と中国のゆくえ 訳注 4

香港の反乱2019 抵抗運動と中国のゆくえ 訳注  4

 

第二章

<1> 選挙委員会 基本法付属文書1で定められた行政長官の候補者を推薦し、選挙で選出する機関。行政長官選挙に立候補するには選挙委員の8分の1以上の推薦が必要となる。選挙委員の定数は1996年400人、2002年800人、2012年1,200人と増加しているが、民主派は選挙委員会による選挙ではなく普通選挙=全有権者による直接選挙での選出を求めてきた。2014年秋の雨傘運動のあと、2015年6月、香港政府は2017年の行政長官選挙で直接選挙を含む選挙制度改革を議会に提案するが、選挙委員会による必要推薦者数を過半数に引き上げ、候補者を2ないし3人に絞る案だったことから、反対の声が強まった。これまでの制度では、民主派でも選挙委員の8分の1以上の推薦で(当選はできないが)立候補してきたが、政府案では民主派の立候補はほぼ絶望的となり、建制派や親中派の候補者からよりマシな候補者を直接選挙で選ぶことにしかならない。選挙制度改革には3分の2以上の賛成が必要で(基本法付属文書1の第7条)、これまで泛民はかろうじて議席の三3分の1一以上(24議席)を維持、つまり拒否権を保持してきたことから、これまでの政府の選挙改革案は泛民のなかの条件派(民主党など)に一定程度譲歩する形で進められてきたが、2015年の選挙制度改革案は、条件派を含めた泛民のほとんどが反対に回ることが予想されたこともあり、建制派が評決前に議場から退出した。結局、賛成8、反対28で政府案は否決され、2012年の制度のまま2017年3月26日に5回目の行政長官選挙が行われることになった。この建制派の退出については、否決されることが分かっている政府案に賛成して世論の非難を浴びることを回避する狙いもあっただろうが、政府案に断固たる賛成を示せない香港土着の建制派政党に中国政府が不満を持つことにもなったと考えられる。行政長官を選ぶ選挙委員会1,200人(実際には重複等で1,194人)は38業種から構成される。業種ごとに選挙を実施するなどして定数の委員を選出する。立法議員と全人代香港地区代表はそのまま横滑りで選挙委員になる。第一章訳注<3>も参照。
<2> 2012年の行政長官選挙前後の情勢分析については區氏の前著『香港雨傘運動 プロレタリア民主派の政治論評集』の収録されている「6月4日、7月1日、そしてX月Y日香港行政長官選挙後の新しい情勢と任務」を参照。同選挙をめぐる様々な動きについては、ふるまいよしこ氏の「2012年、香港行政長官選挙の波乱」に詳しい。
https://www.newsweekjapan.jp/column/furumai/2012/03/2012.php
<3> 共産党中央港澳工作協調小組(香港・マカオ中央調整グループ) 中国共産党内で香港・マカオ政策を担当する部局。中央港澳小組(1978年成立)を改組して、2003年に成立。統括職の組長は国家副主席あるいは全人代委員長級の党政治局常務委員である曾慶紅(2003年7月-2007年10月)、習近平(2007年10月-2012年11月)張德江(2012年11月—2018年4月)、韓正(2018年4月〜)が歴任。2020年2月には「港澳工作領導小組」に改組された。現在、港澳領導小組の責任者は韓正(党政治局常務委員、国務院副総理)が務め、副責任者には公安トップで国務委員(副首相級)の趙克志公安相(党中央委員)と、中国人民政治協商会議全国委員会(政協)副主席で、香港版国家安全法制定の実務を担うとされる夏宝竜・国務院香港マカオ事務弁公室主任(元党中央委員)の二人が就任したと報じられた。(「中国、香港マカオ担当組織を格上げか」、『アジア経済ニュース』、2020年6月5日、
https://www.nna.jp/news/show/2052593?id=2052593
<4> 『「成報(Sing Pao)」』 1939年に何文法らによって創刊された香港の日刊紙。親中国的な論調で知られる。
<5> 青年新政(Youngspiration)  雨傘運動終了直後の2015年1月に結成された「香港ファースト」を掲げる右翼本土派の政治グループ。中国本土からの違法移民の排斥などを訴えるデモなどを実施。2016年9月の立法会選挙では、本土民主前線など立候補資格をはく奪された他の右翼本土派組織や本土派地域政治グループの東九龍社區關注組、天水圍民生關注平台、長沙灣社區發展力量、慈雲山建設力量、屯門社區關注組成立選舉聯盟とともに「香港民族 未来は自分で決める」をスローガンにして選挙ブロックALLinHKを結成し、九龍西選挙区で游蕙禎(Yau Wai-ching)が、新界東選挙区で梁頌恆(Leung Chung-hang)が当選した。しかし議員宣誓の際に「HONG KONG IS NOT CHINA」と書かれたバナーを広げるなどしたことを理由に議員資格をはく奪された。梁頌恆は2020年12月3日にアメリカに逃亡したと報じられた。
<6> 香港社區網絡(香港コミュニティネットワーク) 2010年に結成された非営利団体で、香港政府と連携して少数民族向けの言語サービスを提供する活動等を行っている。「成報」の批判記事に対して同ネットワークは、劉迺強は2014年10月までに同組織の役職をすべて退いている、「青年新政」とは無関係であるなどの反論声明を2016年9月3日に発表した。劉迺強(Lau Nai-keung、1947〜2018)は、香港の主権を民主主義とともに「祖国」中国に返還(回帰)することに賛成する民主回帰派の中心的人物。中国の全国政治協商会議の香港委員(1987〜2007年)、全人代常務委員会の香港基本法委員(2007〜18年)を歴任した。
<7> 「支那」 日本や香港では中国に対する蔑称として用いられる。香港の右翼本土派が「支那」を用いた例としては、2016年10月、青年新政の立法会議員、游蕙禎と梁頌恒が就任宣誓の際に英語で中国のことを「支那(Zi-naa)」と発音したことや、2019年の反乱の際には、デモ隊が連絡弁公室(中聯辨)の外壁に「支聯辨」と落書きしたり、支那+ナチス=シナチスという表現が使われたりした事例などがある。
<8> 中国共産党中央規律検査委員会 中国共産党員の規律違反・腐敗などを監督する最高機関。規律検査委員会は共産党の各級機関に設置されており、中央規律検査委員会がそれらを統括している。摘発に際しては、中国国務院監察部とともに活動することが多い。2017年の第一九回党大会以降、趙楽際が書記となっている。
<9> 駐香港連絡弁公室と国務院香港・マカオ事務弁公室については、序章の訳注<1>を参照。
<10> 中国人民政治協商会議 中国政府に対する諮問・提言機関。中国政府の公式の説明では「中国人民政治協商会議(政協)は国家機構体系内の国家機関に属さず、普通の社会団体とも異なっており、それは最も広範な中国人民愛国統一戦線組織であり、1949年9月に設立された。同会議は、全国委員会と省(自治区、直轄市)、自治州、市、県(自治県)、市管轄区等に設置されている地方委員会によって構成され、メンバーは中国共産党、各民主党派、無党派、社会団体、各少数民族と各界の代表、台湾同胞、香港澳門同胞と帰国華僑の代表および特別招請された人々からなっている。」とされる(中国大使館のサイトによる)。現在の第一三期全国人民政治協商会議は2,158人の委員から構成される。委員長は汪洋(党中央政治局常務委員の序列4位)。
<11> 駐マカオ連絡弁公室 正式名称は「中央人民政府駐マカオ特別行政区連絡弁公室」。1987年に新華社マカオ支社として発足、2000年に現在の名称に変更。2017年9月に同主任(トップ)として赴任した鄭暁松(第一九期党中央委員)が翌18年10月にマカオの自宅から飛び降りて死亡。国務院香港マカオ事務弁公室の発表によるとうつ病を患っていたという。後任は傅自応(第一九期党中央委員候補)が務めている。
<12> 長江実業グループ 李嘉誠が1950年に創立した長江実業を中核とするコングロマリット。不動産業を中心にさまざまな産業に進出している。グループ傘下の和記黃埔(ハチソン・ワンポア)が運営する葵青国際コンテナ埠頭では、2013年3月末から5月初めにかけて、下請け労働者らを組織する工盟傘下の香港碼頭業職工會(労働組合)が戦後香港史上最長の40日間にわたるストライキをおこなった。この争議をたたかった何偉航委員長(工党)は2019年の区議会選挙で西貢区の区議に当選し、20年5月1日の無許可のメーデーデモ参加容疑で禁固2週間(執行猶予18ケ月)の判決を受けている。
<13> 李嘉誠は、2019年8月16日に香港の中国系各紙の一面に全面意見広告を出した。それには、「かつて『黄台之瓜,何堪再摘』(後継者を根絶やしにしないでください)と言ったことがあります」と大書されたメッセージと「香港の一市民 李嘉誠」とだけ書かれていた。これは、則天武后の実子である李賢(655〜684年)が則天武后に兄弟を全部殺してはならないと諫言した詩「種瓜黄台下,瓜熟子離離。一摘使瓜好,再摘使瓜稀。三摘猶自可,摘絶抱蔓歸」(黄の台=皇帝の玉座の下に瓜が熟している、ひとつ間引くと他の実はたわわとなり、二つ間引くと実が減り、三つ間引くとまだ一つ残るが、全部間引くと後は蔓しか残らない)を彷彿とさせるものであった。この言葉は2016年旧正月の旺角暴動の後、会社の業績発表会で李嘉誠が語ったもので、政治的対立が香港の利益を損なうものであってはならないと憂慮したものだったが、この意見広告では、「瓜」は香港を指す暗喩で、皇太子を殺した則天武后は習近平を指すのではないかとも噂された。なお民主派の読者の多い他紙一面には同じ李嘉誠の名義で「愛香港,愛中国,愛自己」「愛自由,愛包容,愛法治」「最好的因,可成最壊的果」(最良の選択が最悪の結果をもたらすこともある)という別の意見広告が掲載された。
<14> 中央法政委員会 中国共産党中央政法委員会は、情報、治安、司法、検察、公安などの部門を主管する党内の機関で、1980年に設立され、一旦は廃止されたが、1990年に復活した。
<15> 「静かなる革命」理論 ロナルド・イングルハートが提唱した、1970年代における社会経済状況の変化、つまり経済的な豊かさの増大、教育水準の上昇、職業構成の変化など脱工業社会への変化に応じて、個々人の価値観が「物質主義的価値観」から「脱物質主義的価値観」へと変化し、それが政治社会全体の変化へと反映されていくというもの。
<16> マズローの欲求段階論 心理学者アブラハム・マズローが「人間は自己実現に向かって絶えず成長する生きものである」と仮定し、人間の欲求を五段階に理論化したもの。一つ下の欲求が満たされると次の欲求を満たそうとする基本的な心理的行動があるとする。五段階の欲求とは、「生理的欲求」(生きていくために必要な、基本的・本能的な欲求)、「安全欲求」(安心・安全な暮らしへの欲求)、「社会的欲求」(友人や家庭、会社から受け入れられたい欲求)、「承認欲求(尊重欲求)」(他者から尊敬されたい、認められたいと願う欲求)、「自己実現欲求」(自分の世界観・人生観に基づいて、「あるべき自分」になりたいと願う欲求)を指す。
<17> イングルハートの用いた質問票は、「四項目指標」に関するものだった。「四項目指標」とは、①国内秩序の維持(身体の安全)、②重要な政治決定に際して発言権を増すこと(政治参加)、③物価上昇との戦い(経済の安定)、④言論の自由の保護(言論の自由)の四つで、このうち、重要と思われるものを二つ選ばせる。ここで、イングルハートは①と③を「物質主義的価値」の項目、②と④を「脱物質主義的価値」の項目として設定している。従って、このなかから二つを選択する際に、①と③を選択すれば、その被調査者は「物質主義型」、②と④を選択すれば、「脱物質主義型」と定義される。そして、そのほかの組み合わせを選択した人は「混合型」と定義される。(『価値観変化と政治変動 : R・イングルハートの理論枠組み』金丸裕志、1997年、「政治研究」44, pp.41-96, 九州大学法学部政治研究室)による。
<18> 抗議活動と関連したと思われる自殺事件には、以下のようなものがあった。
6月15日、35歳の労働者、梁凌杰は、アドミラルティ(金鐘)のパシフィック・プレイス・ビルの上で「送還条例の全面撤回を。我々は暴徒ではない。学生を釈放せよ。林鄭月娥は辞任しろ。Help Hong Kong。反送中 No EXTRADITION TO CHINA。MAKE LOVE No shoot!」と書かれた横断幕を掲げて五時間籠城したが、夜九時に救助に訪れた消防士らをかわしてビルの上から飛び降りた。翌一六日のデモには200万人が参加したが、主催者は梁の死を悼んで「参加者200万プラス1人」と発表した。
6月29日、香港大学に通う21歳の女性、盧曉欣が、郊外の新界粉嶺にある高層団地の壁に「法案の全面撤回、逮捕された学生らの釈放、林鄭月娥の辞任、警察の処罰という当初の理念を堅持してください」「私の小さな命を200万人の願いの実現と引き換えに捧げます」などと書かいた遺言を残して飛び降り自殺した。
6月30日、29歳の事務員の女性、鄔幸恩がフェイスブックに「香港がんばれ!だけど7月1日のデモにはいかない、あまりに絶望したから」などというメッセージを書き残してセントラルの国際金融センターから飛び降り自殺した。
7月3日、28歳の女性、麦が「民選でない政府は私たちの訴えに応えない」「無力感に苦しんでいる」「一緒に戦えなくてごめんなさい」と書かれた遺書を残して自宅の長沙湾の団地から飛び降り自殺した。
7月22日、デモの評価を巡って家族と対立した26歳の男性、范遠聰が沙田の団地のビルから飛び降り自殺した。
8月26日、25歳の男性、郭がインスタグラムに「香港のために香港人は声を上げ、涙を流し、傷つき、血を流してきたが結果は予想からは遠いものだった。」「僕は強大な敵には勝てなかったけど、最後まで頑張れば必ず勝てる。香港人がんばれ!」などというメッセージを残して觀塘の高層団地から飛び降りて亡くなった。
9月4日、林鄭月娥が逃亡犯中国送還条例改正の中止を発表した夜、27歳の女性、何は新界粉嶺のビルの21階から飛び降りた。彼女は止めようとした男性に対して運動のスローガンを問いただし、男性が「五大訴求、すべて実現しよう」と答えると、「香港人がんばって」と告げて飛び降りた。
2020年1月15日には英国パスポートを持つ67歲のロバートと61歳の妻、梁が尖沙咀のマンションから飛び降り自殺した。遺書には運動支援と「煲底見!」というメッセージが残されていた。(煲底」は直訳すれば「鍋の底」のことだが、立法会ビル1階の広場を指す。「運動に勝利した暁には立法会の広場で会おう」という意味になる。このほか、警察による殺害が疑われる事件については第三章の訳注<20>を参照のこと。
<19> ブラックブロック 欧米でのデモ行進などに登場する黒ずくめの服装をした戦闘的集団のこと。1980年代から姿を見せ始めたが、特にリーダーがいたり、大きな組織を作ったりすることなく、数人で構成される集団が行動のたびに集合する。戦術としては、大衆的なデモ隊を背景にして、警察との衝突や資本主義的とみなされる店舗の焼きうちなどをヒット・エンド・ラン方式でおこなうところに特徴がある。
<20> 本土民主前線(Hong Kong Indigenous) 2014年秋の雨傘運動を主導した学聯・学民思潮や泛民らへの批判から2015年1月に結成された右翼本土派団体。香港で使われている広東語や繁体字は現在の中国の公用の普通話や簡体字よりも古くからある、英植民地支配のなかで香港の市民意識は法治、自由、民主などの価値を持っているなど、香港人は中国大陸の住民よりも優れているという主張にもとづく。結成以降は各地域で中国から観光を装った多数の密貿易の「運び屋」らが地域住民に迷惑をかけているとして中国人を追い出せというヘイト行動を組織化。2015年1月24日「光復上水」(上水を取り戻せ)、2月8日「光復屯門」(屯門を取り戻せ)、3月1日「光復元朗」(元朗を取り戻せ)行動を呼びかけ、警備の警察らと衝突した。5月21日には香港の祖母のもとに来て両親から育児放棄されたままオーバーステイになった中国籍の12歳の少年の特別在留許可手続き対して「香港人ファースト」を掲げて出入国管理局に抗議行動を呼びかける。戦術面では「徹底抗戦」や「等価報復」など過激な主張で権力との対決を煽り、2016年2月8日の旧暦の大晦日には旺角騒乱(彼ら曰く「魚蛋革命」)を引き起こし、90名が逮捕され51人が起訴され、最高7年の禁固刑を受けた。「光復香港 時代革命」は、メンバーの梁天琦(エドワード・レオン)が2016年の立法会補選(新界東)に立候補したときの選挙スローガン。梁天琦については、ドキュメント映画《地厚天高》(林子穎監督、邦題:天の高さを知りながら)がある。
<21> レディット(Reddit) アメリカを中心とした英語圏のソーシャルニュース・投稿サイト。「サブレディット」と呼ばれるスレッドを個人が自由に作ることができる。
<22> 連登 LIHKG討論區(フォーラム)の通称。iOSの高登(Golden)フォーラムのサードパーティアプリ「HKG+」から進化した香港のオンライン討論フォーラムで、2016年11月25日に正式サービスが開始された。今回の運動では秘匿性が高い通信アプリ・テレグラムとともにネットワーク化や情報共有のツールとして大いに活用された。
<23> 「オーウェル的社会」 作家のジョージ・オーウェルが1949年に刊行した小説『一九八四年』に描かれた世界のこと。世界を分割支配する三つの超大国は、それぞれ一党独裁の全体主義国家で、お互いに「永久戦争」と呼ばれる紛争を続けることにより、支配階級による永続的支配を続けている。各国では、支配党への絶対忠誠が要求されている。
<24> 中国語圏で使われている漢字には繁体字と簡体字がある。繁体字は旧来どおりの漢字で台湾・香港およびアジア圏の中華圏で使われている。簡体字は中華人民共和国で使われている簡略化された漢字。1956年に国務院が制定し、1986年の改訂を経て現在に至る。
<25> 1989年の中国民主化運動では「和平・理性・非暴力」の原則が守られてきた。特に学生指導部は厳格な非暴力主義を堅持し、自衛武装を主張した一部の学生や労働者を非難している。北京では6月4日の戒厳軍による弾圧のあとでも、戒厳軍の車両に対する攻撃以外には、共産党・政府の建物や商店に対する暴力的攻撃は一切なかった。
<26> 立場新聞(Stand News) 2014年7月に閉鎖された『主場新聞(House News)』の後を継いで、同年12月に創立された本土派の主張に近い独立系オンラインメディア。著者も時折文章を寄稿しているが、21年6月末の蘋果日報の廃刊事件をきっかけに、次は立場新聞が弾圧されるのではないかということで、筆者の文章を含め多くの論評を削除している。
<27> 蘋果日報(Apple Dairy) 黎智英(Jimmy Lai Chee Ying)が1995年に創立した中国語・広東語日刊紙。黎智英が創設したメディアグループ・壹傳媒有限公司(Next Digital Ltd.)の傘下にある。北京政府に反対し、民主派を支持する急先鋒。20年8月10日に海外と結託して国家に危害を及ぼした国家安全維持法違反の容疑で逮捕(同容疑の公判は21年7月以降に予定)。21年5月には19〜20年の一連の無許可デモを組織・参加した容疑で20カ月の実刑判決を受け服役中。当局の金融制裁によって21年6月24日の最終号をもって廃刊した。日本語版序文の訳注<1>も参照。
<28> 工黨(労働党) 2011年に結成された泛民のリベラル左派政党。工盟の労組役員などが個人加盟するほか、新世界第一巴士職工會(バス労組)、香港物業管理及保安職工總會(守衛労組)の工盟加盟労組と市民団体の公民起動(女性や性的少数者の権利擁護に取り組んできた元立法議員の何秀蘭の政治団体)が団体加盟している。2012年立法会選挙では4議席を獲得したが、2016年の選挙では一議席(張超雄)の獲得にとどまり、李卓人も落選した。2019年の区議会選挙では5つの区で7人が当選している。現在の党首は1980年代生まれの郭永健。http://labour.org.hk/
<29> 香港社會工作者總工會 1980年に結成された社会福祉関連の労働組合で、工盟の加盟労組。2015年で2万人ほどいるソーシャル・ワーカーのうち1,200人ほどを組織している。今回の運動でも早い段階から運動に参加し、衝突現場でのトラブル回避などにも尽力。2019年12月17日から19日にかけて警告ストを打つなど積極的に運動に参加している。組合結成のきっかけは、香港政庁の社会福祉職の待遇改革で正規職とボランティア職員とのあいだで待遇格差をつけようとしたことに反発したことや、1970年代末に5〜7万人ほどいた水上生活者らによる安全な居住を求める運動(台風などで毎年被害者が出ていた)などを支援していたソーシャル・ワーカーらが、当時数千人いたとされる九龍半島西側先端の油麻地(Yau Ma Tei)地区の水上生活者らと請願に向かう途中で、公安条例違反で71人が逮捕され有罪になったこと(1979年油麻地艇戸事件)だった。こうした歴史的経緯から、社会的な運動にもとりくむ姿勢が当初からあった。組合のサイトは、https://www.hkswgu.org.hk/
<30> 「中環和你lunch」 直訳すると「セントラルで一緒にランチを」。昼休み中に中環地区で集会・デモをおこなうとりくみ。2019年10月2日、「中環快閃遊行」(セントラルを急いでデモする)というイベントが開催されたのが最初。
<31> 二百萬三罷聯合陣線(二百200万人の三罷ストのための統一戦線) 五大要求実現を訴えた三罷スト(ゼネスト)は、2019年8月5日以外は失敗した。それを受けて同年末から三罷ストの成功を目標とする新しい労組が次々に誕生する。街頭闘争や大学籠城闘争の行き詰まりのなか、2019年12月に入り、同陣線に結集する新しい労働組合を中心に、医療関連労組(12月11日)、事務職員関連労組(13〜14日)、社会福祉関連労組(15日)、舞台芸術関連労組(16日)などが屋外集会や抗議スタンディングを実施。17〜19日には社会福祉関連の労働組合が三日間の警告スト、23〜27日には音楽業界関連労組がストを打った。26日に記者会見した同陣線のスポークスパーソンによると「香港では897労組90万人が組織されているが(400万人の労働人口の)少数しか組合の恩恵を受けていない。しかも、組織されている三3分の1一は建制派(体制派)の組合で、組合員の権利のためではなく、安定した労使関係のために存在している。ストライキは結社や言論の自由とともに『基本法』で保障された権利だ」と述べ、組織化された労働者の力で五大要求の実現を訴えた。職工會登記局によると登記された労組は2020年5月までに前年比210増の1,076労組に上っており、19年6月から20年5月までの間の申請件数も4,328件と例年を大幅に上回る件数になっている(これは立法会議員や行政長官選挙委員会で一定の労組枠があり、それに影響を及ぼそうとする黄色・藍色の両陣営の思惑が反映されているが、実体のないペーパー労組の可能性も高い)。同陣線に結集する労働組合は39労組、現在設立準備中が11労組で、工盟傘下の労組も参加している。新しい労組のカードルの中心は著者のいうところの「一九九七1997年世代」で、工盟とも協力しながら三罷ストを準備してきた。国家安全維持法の制定が持ち上がった2020年6月には、23の労働組合が国家安全維持法反対のスト権投票を呼びかけた。目標投票数6万票、6割以上の賛成でスト突入という基準を設けたが、「国安法反対」「スト突入」の両議案は90%以上の賛成を得たものの、肝心の投票数がわずか8,943票だったことから三罷ストは見送られた。学生らも国安法反対、学生スト突入の投票を呼びかけ、賛否投票を実施したが、目標投票数1万のうち、ウェブ投票ではない投票所での投票数5千票を条件とした。実際の投票数は1万0,101人に達して、その9割ほどが学生ストに賛成した。しかし、実際に投票所に足を運んだのは3,600人余り(他はウェブ投票)だったので条件をクリアできずに、こちらも見送られた。サイトは、https://hkonstrike.com/ 第一章の訳注<29>も参照。
<32> 「警員親屬連線」のフェイスブック・ページは2020年に入ってからはほとんど更新されていない。カバー画像には「私たちは敵ではない(WE ARE NOT ENEMIES)」と大きく書かれている。
https://www.facebook.com/PoliceRelativesConnection/
<33> ジェフリー・アンドリュース(漢字名:安德里、英語名:Alterin Jeffrey Andrews)は、2019年7月におこなわれた民主派による立法会予備選挙に、九龍西選挙区から無所属で立候補した。そのときには「安徳里」の名前を使い、香港における少数民族の参政権を主張した。しかし、得票数は同選挙区で最下位に終わった。2021年1月6日の予備選立候補者に対する55人の一斉逮捕で彼も逮捕されたが、2月末に起訴された47人には含まれていなかった。
<34> 香港における移住家事労働者は、本文中にあるように、主にフィリピンとインドネシアの出身者で占められる。ほとんどが家庭に住み込み、仕事が休みとなる日曜日にはビクトリア広場などに集まって、お互いの交流や情報交換をおこなっている。訳者も、香港訪問時にはその光景を何度となく見た。また、工盟は、移住家事労働者の組織化に熱心で、いくつかの家事労働者組合が組織されている。訳者も、2005年1月のWTO閣僚会議反対のデモでは、そうした移住家事労働者の大きな隊列を目撃した。
 


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